ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

草野翠に加瀬薫(3)

 実のところ、ぼくが校歌を憶えたのは、それを歌いたかったからだ。そしてその理由は簡単。入った大学が大好きだったからだ。
 念願かなって入れた「首都圏のメジャー大学」だった。早稲田ではない。でも、早稲田に遠慮する必要もないぐらいのとこではある。そもそも大声で校歌をがなるってのは早稲田的なスタイルで、実際、マスコミ関係でそれをやるから、早稲田の校歌だけやたらと知名度(知音度?)が高い。で、そいつらと張り合ってやりたかったのだ。
 ただ、同級生の中では、やはり異質だった感もある。一緒に歌った記憶はさっぱりないし。
 いわゆるエリート感、そういうのはない。実は ぼくには「母校」と呼べる大学が、もうひとつある。名古屋にある中京大学だ。今では、松竹梅の少なくとも“竹”ではある大学なんだけど、当時はそうではなく、明らかに“梅”。ぼく自身、7つ受けた中の7番目という、かなり残念な志望順位の下での入学だった。でも、ちゃんと校歌が歌える。
 ここで「大学とは何か」の洗礼を受けたのだ。
 元々体育学部が中心だったから、戦後設立のくせに濃厚なバンカラ気質を有していたし、文化会であっても世間の体育会並のタフさを持っていた。そして大学当局ときたら、昭和期の大学ならではのおおらかさ。自由放任というよりは単なる放置レベルで学生に対して無関心で、キャンパス&校舎には真夜中でも出入りでき、部室で徹夜したり酒盛りしたりとか、そんなことがしょっちゅうだった。
 ここもまたぼくにとっては愛すべき母校だ。だから、校歌を歌った。大学の友人たちとも、よく一緒に歌った。歌いながら深夜の八事の街を闊歩したりとかもある(迷惑なもんだね)。
 今だってちゃんと歌える。「やまとしらねの、中京の、八事ヶ丘に…」当時、体育学部は八事にはなかったけど、歌は同じだったんだろうな。室伏さんや真央ちゃんと飲む機会でもあれば、締めに大声で歌うのかもしれない。