ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

深まりゆくiの生活(3)

 さて、iPad Pro。「うんにゃらPRO」という名前の商品、この世界では結構多い。ただ、およそプロ用とも思えないようなものも少なくない。
 iPadに「Pro」が出ると聞いて、最初に感じたのが戸惑いだった。
 Appleの場合、単に「性能が(値段も)高い」の記号として「Pro」の語をくっつける傾向がある。例えば、Macbook Pro。同じ時代のMacbookよりも高いパフォーマンスを与えられるけど、プロ用ツールとしての存在意義はそこじゃない。何かというと、レガシーなデバイスだ。ieee1394Apple用語ではFireWire)に接続できたり、CD-ROMやDVD-Rを読み込めたり、そういうことができるのが、何より重要だった。だから、現在のMacbook Proは、もうプロ用じゃない。プロにとって重要な「実績ある周辺機器」との接続が切り捨てられてしまったからだ。プロは、制作のためにパソコンを使う。ハイパフォーマンスも新機能も、制作に役立つからこそで、役立たないのならいらない。ましてや、制作の阻害要因として立ちふさがるんじゃ、話にならない。
 ともあれ、「創作のためのツール」という位置づけ、これがプロ用のプロ用たるゆえんなのだ。
 でも、これは言ってみれば、パソコン共通の特徴だ。そして、パソコンとタブレットを隔てる大きな特徴でもある。タブレットは、創作に使うことは考えられていない。そのことが顕著に現れるのが、環境構築。パソコンという道具は、自分自身で環境を構築するのが基本だ。一方、スマートフォンタブレットは、それを嫌う。特にiPhoneiPadの場合、勝手サイトの存在すら許さない。必ずアップルの用意したサイトからダウンロードさせる仕掛けになっている。ただ、単にWebや電子ブック観るだけとか、メールのやり取りをするだけとか、そういう形で用途を絞ると、タブレットほど使いやすい道具はない。手軽だし、どこにだって持ち込める。防水ケースに入れれば、風呂の中でも使える。
 というわけで、こともあろうにiPadで「プロ」というのは、なんだか形容矛盾のようにも感じてしまったのだ。マクドナルドで「ビッグマック・ミニ」なんて売ってるみたいな、ね。