ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

草野翠に加瀬薫(終)

 今の学生はどうなんだろうか。
 再入学した大学の方で、同級生の多くが校歌に対して冷淡だった理由、一つ思い当たることがある。というのも、みんな負け組意識を持っていたからだ。
 受験組が大半だった頃の日本の大学は、「ほんとは××に入りたかったけど、落ちてここに来てしまった」学生ばかりで占められていた。早稲田の話を書いたけど、まあここだって、実際には「東大に落ちてしかたなしに……」が多いのだ。学部によるけど、基本的に早稲田の入試難易度はとても高くて、早稲田が第一志望程度の学力ではなかなか入れない。で、「早稲田に落ちてやむなく……」が明大に入り、「明大に落ちてやむなく……」が日大や専修に、以下ずっと末端の方まで連鎖して続くことになる。
 だけど、今はどこの大学だって推薦やAOが中心だ。負け組感もなければ対抗心もない。こういう状況だと、どうなんだろうか。なんだか、単純に「知らないのがあたりまえ」になってそうな気がする。なぜなら、積極的に愛する理由も乏しいからだ。「そういうの憶えないことがかっこいいんだよね」なんて(歪んだ)美意識ですらなく、憶えてる同級生に「え、なんで?」なんて不思議そうな顔を向ける、そんな気がする。
 勤務先の専門学校にも校歌はあるけど、全く歌われることがない。入学式は学園合同で、始業式や終業式はそもそもやらなくて、また音楽の授業なんてあるはずないし、合唱部の類も存在せず、歌う場面がなければ歌う人たちもいないのだ。卒業式は単独開催だけど、こういう状況で迎えるから、校歌が流れることもない。


 以上、校歌をめぐる話。隠す気もないけど、書くのもなんだか気恥ずかしくて、卒業した方の母校の名前は書いてない。でも、実はタイトルに隠されてたりするのだ。
 同窓生なら、わかりますよね。でも校歌知らないと無理。こんなとこでも損しちゃう訳ですよ。