ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

2014-06-01から1ヶ月間の記事一覧

自転車でも走ってる(4)

話がそれてしまったけど、このへんは前フリみたいなものだ。ランニングとの共存、こちらが本来の言いたいことだった。 引っ越し前の約1ヶ月間、都合により電車で通勤した。と同時に、ランニングの本格的な(あくまで自分にとっては、ですよ)トレーニングも…

自転車でも走ってる(3)

自転車は、豊富な経験値を与えてくれる乗り物だ。 例えば、川の土手。川そのものは鳥たちにとっての生活の場で、それを眺めながら走るなんて、ちょっとしたサファリだ。そして、鳥は飛ぶ。川沿いに飛んでたりすると、土手の上を走ってるこちらと、高さも方向…

自転車でも走ってる(2)

スポーツタイプの自転車に乗るようになったのは、じゅうぶん中年になってからで、そんなに早くない。まあ、それでももう10年は経っているんだけど。 最初に乗ったのは、GTのマウンテンバイク。ジムニーに乗っていたことがあるし、キャンプとかもやるし、アウ…

自転車でも走ってる

新居は、見晴らしのいい丘の上にある。 名古屋は「白い街」なんて別名もあるくらいで、緑が少なく道ばかりが目立つ(しかもこいつがアスファルトではなくコンクリートで舗装されていたりする―だから白いんだね)土地なんだけど、これは旧市街地だけの話。郊…

スイッチがまだ残ってる

愛用していたiPadが起動しなくなった。スリープ状態から目覚めさせようとしても、ログイン画面が瞬間的に出て、すぐ黒い画面に置き換えられてしまうのだ。 「黒い画面」というところがミソ。画面が暗くなるのではない。バックライトは煌々と輝いていて、それ…

本棚を待ちわびて(11)

えらく長い話になってしまった。ほんとうは、収集つかなくなっている自分の部屋へのぼやきに過ぎなかったんだけど、ついでにあれこれと書いてしまった。ただ、最初からここまで広げる気がなかったのかというと、わざわざ「電子ブックの夜明け」カテゴリーで…

本棚を待ちわびて(10)

好きか嫌いかということと、何をするのかということは、切り離して考えなければならない。「するのか」は、「しなければいけないのか」でもあるし、「できるのか」でもあるけど、結局のところは「どうなるのか」が大きい。この一歩は、“私”から“公”へのシフ…

本棚を待ちわびて(9)

ぼくが問題視しているのは、実は品質面だ。ゲームにおける「アタリショック」、そのようなことを懸念している。 本は、著者だけで出すことはできない。発行人(社長)と編集人(編集長)がいて、両方がOKを出さないと出版されることはない。実際に著者が最初…

本棚を待ちわびて(8)

電子書籍については、もう何年も前から自分自身のテーマとして考えてきている。実際に書いてみたり、形式を考え試作してみたり、また一消費者として積極的に購入もしてきた。だから、浅はかな論説がぶたれているのをみると、哀れに思う。この人たち、たぶん…

本棚を待ちわびて(7)

ここまでの論考は、暗黙の内にノンフィクション系の本を前提にしていた。ただ、情報量の問題については、小説の類であっても、例外ではない。 例えば一度図書館で読んでしまった本は、なかなか買う気が起きない。未知の本ほどの情報量がないからだ。とはいえ…

本棚を待ちわびて(6)

紙の本は、そこに立ててあるだけでも、相応の情報量を持っている。本棚に本を並べておきたいのも、半分はこれだ。背表紙を眺めていると、それを読んだときの記憶がよみがえってくる(先述の通り、全てとはいかないけどね)。そういうものを引き起こすだけの…

本棚を待ちわびて(5)

紙の本も電子書籍も、価値の中心にあるのが情報だという点では共通だ。ただ、この「情報」という言葉、案外正しく使われていないことが多い。単なるデータのことをそういうのだと思っている人が多いのだ。だから、ブルーレイを「CD-ROMの数十倍の情報量を持…

本棚を待ちわびて(4)

少し私的な話に流れてしまった。書き出しの、人はなぜ本を買うのかに戻ってみよう。 物欲の対象として本を求める、これにはどうも浅ましさがついて回る。例えば高度成長期では、文学全集と百科事典が出版社の定番商品だったわけだけど、これらが売れたのは「…

本棚を待ちわびて(3)

知的な生き方。この単語がぼくにとって蠱惑的なキーワードになったのは、いくつかの本との出会いからだ。 渡部昇一氏『知的生活の方法』を読んだのは、大学通算3年めのときだった。本そのものを知ったのは、高校2年のとき(当時の担任が話していた)だから、…

本棚を待ちわびて(2)

本読みには「買う派(本屋族)」と「借りる派(図書館族)」がある。ぼくは前者で、だからなるべく本を買うようにしている。 ただ、この“本読み”というところが、そもそもの始まりだ。世の中には、そういうものに全然関心のない人も少なくない。 「えー、な…

本棚を待ちわびて

人はなぜ本を買うんだろうか。 キーワードは知識。人は生まれながらにして知ることを欲している。本というのは、知識を得るための道具だ。だから、本は、どんな時代でも人々に求められる。 でも、ひとつ注意する点がある。本は、「マテリアル化された知識」…

薄くても厚くても

「男の持ち物」というのはカテゴリー名にもしているけど、まあわざわざ「男の」なんてことわるところに、ある種の気恥ずかしさみたいなものがある。 身の回りの品のことなんて、本来男はくだくだ言わないもの……必ずしも共感を感じないわけでもないその価値観…

堂々と説くゲームデザイン(9)

タイトル横の数字も、ついに(9)まで来てしまった。元々さらっとまとめるつもりだったのに、次々と書きたいことが出てきて、収集がつかなくなりそうだ。考えてみたら、自分の人生と直結するテーマで、そんなに簡単に終われるはずがない。長く書き続けてきたが…

堂々と説くゲームデザイン(8)

ゲームデザイナー志望者は、どうやって自分の「作れる人であること」を示したらいいのか。実はこの件については、決定的な答えが見つけられないでいる。しかし、最善手がわからなかったとしても、とりあえず打っておける手というのはある。それを積み重ねて…

堂々と説くゲームデザイン(7)

あれこれ書いてきたが、専門学校の教員という今の自分の立場からだと、いちばん根本の問題が、いちばん悩ましい問題になる。「学生諸君にそれを勧めるべきかどうか」という点だ。 ゲームデザイナーは、固有の職務内容を持つ専門職だ。だけど、職業として志望…

堂々と説くゲームデザイン(6)

ゲームデザイナーという言葉の多面性は、それがプロの世界で積極的に使われてこなかったことにも由来しているのだろう。 日本ではながらく「企画」という職種名が用いられてきた。あるいはこれをカタカナ語化して「プランナー」なんて言ったりもした。そもそ…

堂々と説くゲームデザイン(5)

もちろん、現実には10年毎に世代が変わるわけではない。説明した4つの“世代”も、あくまでも便宜上の類型化だ。ただ、こうした傾向でのパラダイムシフトが行われてきた事自体は、現実だと言える。 ここでひとつ、注意点がある。各要素は、重層的だということ…

堂々と説くゲームデザイン(4)

こんにち、すなわち10年代においてゲームデザイナーに求められるものはなにか。まだ総括するには早いけど、ぼくは「起業力」だと思う。前例のないビジネスを構想し、提案し、実現していく力だ。 起業といっても、会社を自分で起こすとは限らない。むしろ、会…

堂々と説くゲームデザイン(3)

ゲームデザイナーに求められる能力というのは、時代ごとに変わっていっている。 80年代のゲームデザイナーには、「自分でプログラムが書けること」が必要だった。というのも、ゲーム自体が生まれたばかりのその時代には、まだ職種ごとの役割分担なんてものが…

堂々と説くゲームデザイン(2)

ゲームデザインとはなにか。 平たく言えば、ゲームの設計である。“design”を辞書で引けば、字義の1番は「設計」となる。だから、ゲームデザインは、ゲームの設計。これで問題ない。 ただ、早とちりには要注意だ。「プログラムの設計」ではない。ゲームの設計…

堂々と説くゲームデザイン

6月とくれば衣替え。制服があるわけじゃないから直接関係はないけど、専門学校でも、気分的にとても重要な一区切りであることには、違いはない。4月に始まった授業もここで折り返し、夏休みに向かって進んでいくことになる。 今フルタイムの教員として、週あ…