ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

草野翠に加瀬薫(2)

 なんであの頃そうだったんだろうか。
 まず言えるのが、自分たちの少し前にいたシラケ世代の影響だ。大人たちが決めたものや、前の時代から受け継がれているものを冷ややかに見送り、興奮すべき時には冷めて見せ、冷めるべき時にはやっぱり冷めている、そんな在り方が時代の美学だったのだ。正月なんてただ日付が変わるだけだし、誕生日だってめんどくさいだけ。感想を求められれば「別に……」、これが昭和後半における美学だったのだ。
 シラケ世代ってのは、年齢的には一回りぐらいは上になる。全共闘のその後に若者だった人たちだ。大学には学生運動がまだ残ってはいたけど、敗勢ははっきりしていて、ただひたすら否定ばかりが残ってしまった時代。ぼくらの年代は、子供として彼らを見た。その背中を見ながら、かっこいいものとは何かを植え付けられていった。
 自分たちが長じてみれば、もうそれはかっこいい世代じゃない。だけど、子供時代に形成されてしまった世界像は、簡単には覆らない。表面上(&主観的には)否定しながらも実質において受け継いでしまっている。
 そう考えると、ぼくたちの世代も、まあ子供たちに見せる背中としては、どうにもあんまり良くなかったね。ひとつ伝えてしまったものは、オタク文化だったんじゃないだろうか。それ以前の世代には、「大人用と子供用」が厳然とあった。でもぼくたちの世代は、堂々とガンプラ作ったりアニソン歌ったりしていた。ドラゴンボールからドラゴンクエストまで、子供のための遊びをいつまでも楽しんでいた。