ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

2014-05-01から1ヶ月間の記事一覧

持ち家プロローグ(5)

引越しのフラクタル性は、家そのものがフラクタルな構造体であることに根ざしているのかもしれない。 基本的には、箱にすぎない。ところどころ斜めにカットされていたり、穴があったり張り出していたりだけど、箱を適当に間仕切りしたものとして、とりあえず…

持ち家プロローグ(4)

人生における初引っ越しは、幼児期のことになる。 元々南部の市営住宅に住んでいたのだが、父親が一念発起して郊外に一戸建てを購入、一家として移り住んだ。これが、最初。 ただこのときのは、あまりに幼すぎ、全く記憶が無い。そして二度目は、自分が成人…

持ち家プロローグ(3)

実は申し訳ない気持ちには、未梱包な荷物以外に、もう一つの要因があった。重さだ。 ぼくの荷物には、本が多い。 もちろん自分が全然たいしたことない本持ちであることは、自分がよく知っている。というか、こちらは大海も知っていれば、天の高さだって知っ…

持ち家プロローグ(2)

2週間も前から準備していたはずなのに、結局全てを片付けきれないまま、当日の朝を迎えた。もちろんそれを迎えた場所は、ベッドの上ではない。ダンボール箱の山の前だ。いや、山の中といってもいいかもしれない。全然片付ききらない荷物の群れの前、ふだんな…

持ち家プロローグ

引っ越しを進めてみて、気付いたこと。それは、この作業がフラクタルだということだ。 全体にも複雑さがある。いちおうその辺を理解し終えて細部を見始めると、そこにも同じレベルの複雑さがあることに驚かされる。そしてさらに細部には…こんな状態がずっと…

いろいろプロローグ

「盆と正月が一緒に来た」というのは、嬉しい悲鳴なんだろうか、それとも本当の悲鳴なんだろうか。 この土日は、とんでもない週末になった。FC2ブログの予約投稿機能が、数日前に書いたのんきなテキストを公開しているその真っ最中、土曜日は引っ越しを、日…

遠すぎた箱

何軒も回ったのに品物がなくて途方に暮れるなんて経験は、だいぶ少なくなってきた。アマゾンか楽天で探せば一瞬で見つかってしまうからだ。それでも、ほかならぬ情報家電分野でその思いを味わっている。 エプソンのインクカートリッジのリサイクルである。 …

まだ走ってる(3)

別にマラソンイベントでなくてもいい、そんなことも思わないわけじゃない。 元々人混みというのはあまり得意じゃない。シティマラソンなんて、走るのも人混みなら観るのも人混みで、どちらについたとしても不幸さには違いがない。欲しいのが、その距離を走っ…

まだ走ってる(2)

昔、東京の市民マラソンといえば「青梅」だった。 今でもなくなったわけじゃないらしいんだけど、まあそっちを気にしている人は少ないだろう。東京とくれば、言うまでもなく東京マラソンだ。これへの参加というのも、ちょっとは考える。ただ、途方も無い競争…

まだ走ってる

スポーツオーソリティに行ったら、神戸マラソンの募集チラシがおいてあった。 前に走ってる話を書いてから1月半ほど経過した。ぼくのランニングは、まあ相変わらずだ。やめてもいないけど、距離は増えていない。ペースも同じで、運動強度も上がっていないと…

F1まとめ書き(9)

今、F1は浮ついていると思う。 いろいろな国で開催されるようになった。でも、拡がった分、薄くなってしまっている。バーニー・エクレストン(F1の首領)には、思惑があったんだろう。グランプリを開けば、それが起爆剤になってその国にF1ブームが起き、バブ…

F1まとめ書き(8)

セナの話から始まったのに、気づいたらずっとセナ以外のことばかり書いていた。 実は、ぼくは現役時代のセナについて、別にそんなに好きだったわけじゃない。大騒ぎする人が多すぎて辟易していたぐらい。走りがどうのって言っても、まあレースだから目を見張…

F1まとめ書き(7)

知ってる人は知ってるが、今日本は、F1浪人中だ。 日本人ドライバーが、ではなく、「日本」が。ドライバーは、今年に関してはゼロではない。エンジニアなど、バックヤードの人材はずっとまえから何人もいる。だけど、日本という国について言えば、F1に対して…

F1まとめ書き(6)

前には「情報ソースは雑誌だけ」なんて書いたけど、実はもう一つあった。プラモデルだ。F1のプラモデルというのは、箱車に比べると断然精密度が高く、細かなメカニズムまできっちり再現されていた。これを組んでいくと、自然とメカの仕組みも解るようなもの…

F1まとめ書き(5)

ぼくにとってモータースポーツへの興味は、中学生時代に遡る。 70年代の終わり頃、ちょうど映画『ラッシュ』でやっていた時代だ。スーパーカーブームの余波でモータースポーツも注目される中、日本でグランプリが開催された。中学生としては、ガキンチョども…

F1まとめ書き(4)

昔からのF1ファンには、たぶん共通する弱点がある。それは「観てもいないのに」ということ。 70年代終盤に2回だけ行われた日本グランプリ、これはテレビにかじりついて夢中になってみている。レースが終わった後にシャツを脱ぎ捨て上半身裸で立ち去っていく…

F1まとめ書き(3)

あの頃、突如として沸き起こったF1ブームだが、誰もがそれを歓迎したわけではない。特にそれ以前からF1を知っていた者にとっては、むしろ逆だっただろう。ぼく自身も、そちらの側の人間だった。 実際、バブル期の日本でのF1ブームというのは、実にかたはら痛…

F1まとめ書き(2)

実のところ、日本人にとってセナというアイコンは、モータースポーツだけのものじゃない。「バブル」という、その頃を生きた者にとって忘れようもない一時代を象徴する存在だった。 あの頃、日本はF1で浮き立っていた。今の若いモータースポーツファンには実…

F1まとめ書き

先日、アイルトン・セナの名が、ニュースなどでさかんに流れていた。命日―それも、没後20年という区切りのいい―だったからだ。 あの日「セナがクラッシュ」という第一報を聞いた時に、なんとなくそうなると思ったのは、ぼくだけではないだろう。それは映像も…

再会から再開へ(6)

というわけで、ひさしぶりに放文している。 売れないから、売文ではない。ただ、理想とか思想とかを高らかに歌い上げるわけでもなく、それでいて一定の読者には楽しんでもらおうなんて気持ちは持っているから、“売文業者”の書く物と、本質的に違わない。違う…

再会から再開へ(5)

さて、あらゆる方向において行き詰まっていたわけだが、それが逆に救いとなった感がある。全方向を包囲されていることがはっきりわかれば、とるべき行動は一つ。自分が今向いている方向に向かって突き進むことだ。もし包囲の輪が緩んでいる場所があるかもし…

再会から再開へ(4)

読み物ページを動かしていくにあたっていちばん悩んだのは、自分のペルソナだ。これをどう作るのかという意味で、行き詰まってしまったのだ。 人はたいてい何らかのペルソナをつけて、社会生活を営んでいる。ただ、現実世界でのペルソナは、環境との相互の影…

再会から再開へ(3)

書き物というのは、当たり前だが書き手を必要とする。だけど、書き手の顔が必ずしも見えているとは限らない。 教科書では、書き手が自身の存在感をなるべく消すのが通例だろう。小中高で使うものが典型的だけど、大人向きの本でも、使われ方として教科書的な…

再会から再開へ(2)

前述のとおり、何度も辞めてきた読み物ページ。「やまだのホームページ」だった頃もあるし、パーソナルウェブマガジンのときもあり、もちろんブログのときだってあった。最近ではツイッターがそうだった。時代ごとに新しいものが出てきて、その都度つきあっ…