ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

奴隷じゃなくて「貴族」でしょ?(4)

 今回、かなり熱くなっている。「社会の木鐸」なんて言葉があるけど、打ち鳴らすための木槌が自分の手の中にあることに気づいてしまったからだ。

 前にも触れたように、今特許法の改正が進んでいる。

 現行の特許法では、発明者になれるのは自然人だけで、法人(会社など)には認められない。雇用関係にある者が仕事として行った発明の場合も、雇い主に無条件で認められるのは、その発明を対価を支払わずに実施する権利だけ。発明者が持つ「特許を取得する権利」自体は譲渡可能な財産権だけど、雇用契約にあらかじめこの譲渡を決めておくことは、職務に属する発明の場合以外は無効とされる。例えば「甲が、契約期間中に作成した一切の創作物の権利は、乙に属するものとする」みたいな契約はできないということだ。そして職務発明の場合も、譲渡には対価を払う義務がある。200億円だの何だのと言っているのは、この対価の額の話だ。

 今進められている特許法の改正は、この修正だ。まだ決定ではないので細部ははっきりしないのだが、どうやら職務発明の場合には「特許を取得する権利」を法人が原始取得することを、可能とするものらしい。直接的には財界のリクエストだが、被用者側も入っての議論が行われてきた。

 だけど、今回のノーベル賞で、これが非健全な方向に流されてしまうおそれがある。

 マスコミには、ノーベル賞受賞者をべた褒めする傾向がある。もし、中村修二氏まで(島津製作所の)田中さんと同じレベルで「いい人」扱いしてしまったら、どうだろうか。裁判の相手役となった日亜化学は、間違いなく悪者扱いだ。研究失敗のリスクを負担し、また発明とその権利化のコストを全て負担したのにもかかわらず、「研究職社員を奴隷扱いした会社」(ちなみに『奴隷』という言葉は、中村氏―終身の研究職として給料を受け取り続け、海外留学までもさせてもらった―自身が言っている)として、悪の権化のような役割を与えられてしまうのだろう。そして、欧米と同水準の規定の導入により訴訟リスクを軽減したいと主張している財界も、その黒幕的な悪者ということになってしまう。

 こうなると、もう笑い話ではないのだ。