ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

気分はクリティカル?

 「クリティカル」という言葉、ゲーム愛好者なら当然「ヒット」と結びつくだろう。

 よく使われるのはRPG。“ズバシュッ!”なんて気持ちいい効果音とともに画面がフラッシュ、同時に「クリティカルヒット!」のメッセージが出現する。通常の数倍のダメージを与えられ、敵は瞬殺…なんて感じだ。だから、「クリティカル・シンキング」なんて言葉を見ると、ついそういう“ズバシュッ!”な気持ちいい発想法のことを連想してしまう。

 でも、そうではない。日本語になおすと「批判的思考法」となる。

 批評=クリティックという意味での言葉は、ゲームを始める前から知っていた。でも、RPGの画面上でクリティカルの文字を観ても、そっちは思いつかなかった。

 実際のところ、クリティカルヒットのクリティカルは、「クライシス」の形容詞形なんだとか。語源からして違うわけだ。だったら、綴りも「CRISICAL」とでもしておいてくれたらいいのに。

 言葉というのは、思考体としての人間にとっては、体の一部だ。特に、動詞や形容詞のような単語だと、身体感覚と同じように、体に染み付いてしまう。ある単語が受け入れられると、もうそれ以外の意味ではありえなくなってしまう。クリティカルという単語自体、RPGで初めて知り、そのプレイ体験を通じて血肉になっていった。これと“ズバシュッ!”が、どうしても切り離せないのだ。