雑誌が消える!(3)
「LEON」、「Pen」、「MONOQLO」、「ターザン」、「ワイアード」、あと「エアライン」と「航空旅行」……今のぼくが読んでいる(定期購読はしてないけど、まあ結構よく買っている)雑誌を挙げると、こんなところになる。最後の2つはホビー誌だから、その時々の好みで入れ替わる。今は封印してるけど「バイカーズステーション」もよく買ったし、数年前は「サイクルスポーツ」や「ソルトワールド」だった。
知らない人には、何のことだかわからないだろう。だけど、同じ雑誌を買っている人なら、このサイトの主であるぼくについて、納得できるはずだ。いちいち書かないけど、どれも次のような特徴がある。
・基本的にスノッブで、斜に構えてる。
・クオリティの高いライフスタイルを志向。
・造本やデザインが美しい。
雑誌というのは、何らかの分野を背負っている。それは「世界」といってもいい。
ホビー誌の場合は、言うまでもない。例えば「Gun」。銃というのは早い話が人殺しの道具で、それに言いようのない魅力を感じる自分を、ともすれば否定したくなってしまう。でもこんな雑誌があればだいじょうぶだ。モデルガン数丁を持ち、38スペシャルと357マグナムのそれぞれの特徴を理解し、機関銃と自動小銃の違いを常識として知っているような人間は、この世界では「普通の人」だ。情報は多いから理論武装の根拠を得ることもできるけど、それ以前に「そういう人が他にもいっぱいいる」という事実そのものが、自分を救ってくれる。
でももっと一般向けの雑誌でも、やはり同じなのだ。雑誌は、ある“世界”を覗きこむための窓だ。そして、購読しているということは、世間に対する宣言でもあると思う。
「ぼくはこの雑誌を読む価値観の人間なんだぞ!」
「LEON」を購読するっていうのは、単に「オヤジ向けの高価なブランド服の情報を得る」ということではなく、“そういうライフスタイルに共感する人クラブ”の会員証を手にするということなのだ。
だけどネットでは? 一昔前はポータルサイトがいっぱいあって、ブラウザのホームにそのどれを設定しているかっていう点で一応のアイデンティティを示すことはできた。でも今ときちゃ、世界中の全員が“Googleクラブ”の会員で、仮想コミュニティも形成されない。そして人々は自分について「何者」であるという意識すら持てず、結果、まとめサイトの根拠なきアジ記事にいちいち憤慨したりするモブと化してしまう。