ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

Kindleの話(1)

 電子書籍元年という言葉は、去年には聞いた。一昨年もそうだったかもしれないし、それが最初だったというわけでもない。ぼくが最初に電子ブックリーダーを見たのは、「PC」とくればまだ「98」だった、20世紀の終わり頃。NECが出した、端末だ。テキストファイルを液晶画面に表示するというもので、フロッピーディスクとして供給される「書籍」も提供されていた。買ったのはぼくではなく会社の同僚だったが、彼が見せびらかしてくれたもの以外、ただの1台も実動機を見たことがなかった。その後、「元年」の呼び声は何度も聞いたが、「2年」は未だ訪れていない。

 とはいえ、別に皮肉を言いたいわけではないのである。どちらかというと憂いている方に近い。

 ここのところ、Kindle(ペーパーホワイト)を使っている。その上であえて言いたい。「これを使わないことは、人生の損失だ」と。

 自分自身としてはもう使っているから問題ない。ただ、これが使われていないことについて憂いたい。

 多くの日本人は、こんなすごいものを知らないでいる。使いもしないのに「どうせ大したことあるまい」と決めつけているのだ。アメリカではとっくの昔に普及していて、多数の教養ある人々がこれを使って「読書2.0」に移行しているのに、である。これではますます格差が開いてしまう。だから憂いているのだ。