ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

リスク回避としての持ち家主義(2)

 家を買うのは、家賃の先払いだ。ぼくはそう思っている。もちろん家には資産という要素もあるけど、償却のスピードが早すぎて、ちょっと難しい。

 それに、本当に資産になるほどの家がぼくたちふつうの人間に買えるんだろうか。

 例えばダイヤ。テレビCFだと「ダイヤモンドの輝きは永遠です」なんて言ってるが、実際の宝石商はこんなことを言っている。

  「資産価値は、とても大きなものにしか出てこないんです。

   婚約指輪は、純粋に装飾品としご購入されるのがいいですよ」

 土地にも同じことが言えるだろう。マンション一棟立つほどの土地なら、時代が変わっても変わった時代に応じた使い道があるから、資産価値は維持される。だが、庶民住宅がようやく建つ程度の土地は、よほど適した用途のある物件でないと、価値なんて出てこない。そして「その上に庶民住宅が建ってる」ことで発生するマイナス分が、ささやかな土地の価値とすでに相殺されているかもしれない。ましてや、分譲マンションなんてどうだろうか。鉄筋コンクリートの法定耐用年数は50年位だけど、築30年もすれば誰も買わなくなる。めでたく50年目を迎えたとき、そこにあるのは極めて頑丈な粗大ごみだ。そんなものが乗っかってる土地を何十世帯で区分所有してたって、ふつう財産とはいえない。


 こうして考えてみると、賃貸でいくか購入するかというのは、この前払いが割に合うか合わないかの問題なのだ。

 割に合う合わないは、経済状況に左右される。バブルの頃、不動産は高価かった。そして毎月どんどん値段がつり上がっていった。この段階だと、がんばって買ってしまったほうがいい。家は原価主義だけど家賃は市場主義だ。一度買ってしまえばこっちのもので、後に周辺の相場が上がったとしても、売主から追金を請求されることはない。だけど、家賃はそうはいかない。建っている土地の価格が上がると、連動して値上げされてしまう。

 とはいえ、皆がそう思って走りだすと、市場はえてして市場だけを睨んで構成される市場になってしまう。現実の価値から遊離した価格で取引されてしまうのだ。

 このように、マクロ経済的な視点からは「どっちも同じ」となる。ただ、マクロな視点というのは、神の視点だ。だがぼくたちは神ではなく、神が弄ぶサイコロに翻弄される側のほうにすぎない。そしてここで気がついていなければならないのが、リスクということになる。