ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

今日が本当の店開き

 新年度の始まりになる。

 大学だと、たいてい4月1日が入学式だ。専門学校はもう少し遅い。入学手続きの締め切りが遅い分、先送りになるわけだ。といってもたかだか一週間程度なんだけど。ともあれ、入学式もない以上、在校生の始業だってまだだ。だから4月1日の新年度ってのは、実は職員だけのためにある区切りの日だ。

 このブログ、3月の割りと中途半端な日から始まっている。ほんとうはこういうのを区切るべきだった。まあ今日が本当のスタート、これまでのはプレオープンってことにしておこうか。


「ゲームは究極の科学なり」っていう、ブログタイトル。あれこれ考えていてふっと浮かんだ名前だったけど、こうしてできてみるとまさに自分のモットーだったということに気がつく。

 ゲームデザインが、長く専門だ。仕事でやっていた期間よりも教師として教えている期間の方がとっくに長くなってしまったけど、まあ今でも引退したわけではないので、ゲームデザイナーであることは代わりはない。

 この仕事、開発現場での地位は、高いとはいえない。いいとこ「開発庶務」扱いである場合が多いのだ。というか、ゲームにデザインが必要だということがいまひとつ理解されていない感がある。職人技をリスペクトするお国柄からか、クリエイターというのが現場育ちをもって良しとしている傾向があって、ゲームもその例外ではないということだ。理論に強く、ディベートやプレゼンをうまくこなし、様々なフレームワークを使い分けるような人間というのは、基本的に煙たがられる。

 そんなあり方に昔から疑問を持っていた。経験だけに根ざした技の集合体であっては、時代とともに変わっていくことなどできない。ゲームにはデザインが必要であり、それはおそらく工業デザインの一種である。それをするためには技術的なトレンドを追いかけるだけでは足りず、あらゆる科学分野における最新の知見も取り込んでいかなければならない。そういう思いから大学院の芸術工学研究科に入りもしたし、学会活動にもあれこれと参加した。

 そしてもう一つ、ゲームデザイナーのデザイン以外の仕事についても、問題意識を持って取り組んできた。こっちは特に学校に行ったわけじゃないけど、元々学部は法学部だったから、社会科学系とは相性が良い。プロジェクトマネジメントやマーケティングも、自分の副専攻のつもりで、取り組んできた。

 そんなぼくには、当然発信したことが山ほどある。これまでにも自分が持っている情報が揮発してしまうことは、誰にとっても嫌ではあるんだろうけど、ぼく自身の問題として言うと、再起不能なほどに嫌だ。そこで、このブログだ。


 そうそう、タイトルについて。

 ゲームデザインというのを、ぼくは世界でいちばん楽しい仕事だと思っている(この辺、詳しくはまた後日)。そして、人類の生み出したすべてのものは、ゲームを作るために神様が存在せしめたものだと思ってもいる(同じく)。そしてその中には、科学だって含まれる。

 だから、ゲームは究極の科学なのだ。


 そんなわけでこのブログ、「山田式ゲームサイエンス」の集大成になることを指向して、2014年度に本オープン

 そうは言っても、ぼく自身、深刻な思いつめたのは性に合わない。当分の間は、手堅い記事の合間にちょこまかと生活直結だったり腰砕けだったりする記事を載せていこう(むしろ順番が逆かもしれない)。また、そういうのがクリエイターになるためには重要だったりするし。