ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

名前をなくしたオヤジ

 田中芳樹さんの「七都市物語」の中で、こんな一節がある。
  「彼は“元首のご子息”と呼ばれていた。
   呼ぶ側も呼ばれる側も敬称のつもりでいたが、
   これほど人を馬鹿にした呼び方もないであろう」
 日本では役付きの人を役職で呼ぶという慣習がある。名前を呼ぶ場合も「さん」のかわりに役職名を用いる。そうしないと失礼だと言わんばかりに。
 言葉というのは慣習で成立しているのだから、受け入れている。とはいえ、違和感は禁じ得ない。やはりこれは基本的に“元首のご子息”と変わらないような気がする。
 まあ、人をいちいちさん付けで呼ばないというのは、偉大なる思考節約なのだ。学校の中で生徒学生が見知らぬおっさんと会ったら、とりあえず「先生」って言っとけばいい。アメリカ式にいちいち「ミスターヤマダ」「プロフェッサータナカ」なんてやってたら、名前覚えてないと呼ぶことすらできないんだし。そして会社員/公務員にとっての挨拶すべき対象は実に多い。学校だと生徒40人に対して教師一人だけど、会社の役付はこんなぬるい比率じゃない。役職で呼ぶことの経済効果は抜群だ。
 現実的にも、「社長」であり「部長」なんだろう。その人個人に頭を下げるわけではない。役職に対して皆頭を下げている。下げられている側に自覚はあるかどうか知らないが。
 まったく日本という国は……なんて思うのだけど、英語でも、かしこきあたりを呼ぶ場合はそうなるのかな。日本語の「陛下」「殿下」に相当する呼びかけ語は「ユア・マジェスティー」「ユア・ハイネス」になる。「あなたの持つ高貴なるもの」に対して呼びかけてるってことで、エリザベスばあちゃんやチャールズおじさん個人の人格に対してではない。
 ともあれ、昔から思っていたのは、さん付けで呼び合う会社だ。自分がボスになるんなら、そういう会社を作りたい。そして自分が役付になったら、最初にやる命令は自分をさんづけで呼ぶことだ。ずっとそんなことを思っていた。
 だけど、そういう人はいつまで経っても役付きにはならない。神様の皮肉さというよりは、必然的なんだろう。ようはそういうことを考える人間は出世しづらいということだ。
 問題は「先生」。一応学生に対しては「学校の外では先生と呼ぶな!」と言ってる。まあ、あまり守られてない。大須グッドウィルの前で「あ、先生! 先生もですかッ!」なんて叫ばれたこともあったっけ(“も”はないよね、全く)。



 名前へのこだわりというのは、昔からある。
 元々、物書きとかそういうものになりたいと思ったきっかけが、そこにあった。ぼくは子供の頃から自分の名前が嫌いだったんだが、あるとき親か姉か忘れたけど、こんなことを言われた。
  「そんなに嫌なら作家か芸能人になればいいがー」
 身内の言葉というものは、祝福にもなれば呪いにもなる。どっちなのかわからないが、以来、「自分の名前」という作品をメジャーになった時の妄想とともにあれこれと考え、そしてコツコツ働くとか額に汗とかいった価値観とは対極的な何かを信奉しつつ、大人になっていった。

 日本の文化人には、元々雅号を名乗る習慣があったからだろうか、作家にはペンネーム派が少なくない。また、文筆渡世の人たちは、何より名前を憶えて貰わないと話にならないから、キャッチーで憶えて貰いやすい名前を考えるんだろう。ラノベ作家なんて、作者の名前がすでに作品だ。
 そこへ行くとゲーム屋は、本名が多い。遠藤雅伸、宮本茂、堀井雄二…と、もしかしたらこういうペンネームなのかもしれないが、まあ多分本名である人たちばかり。かくいうぼくも、ゲーム屋としては本名派になる。結局デビューが会社員のときなので、そうでないと違和感が隠せないのだ。そして「山田さん」として業界にささやかな橋頭堡を築いてしまった以上、会社を辞めてからだって放棄するわけにも行かない。
 独立後最初の仕事になったバンタンの教壇だったんだけど、講師仲間もこの意味でくっきり分かれてた。物書きやマンガ家出身の人は明らかに本名ではない名前で、本名っぽい名前の人はというと、ゲーム屋かアニメ屋だった。
 どっちが名前をなくした人なのかな。山田はクリエイターやめても山田のままだ。聖紫瑠先生だと、そうはいかない。

 そして今回のブログ。そのものではないが、“ほぼ本名”で書いている。
 これはある意味勇気のいることだ。最初にネット上で読み物系サイトを公開したときもそうだったけど、それはまだインターネットが大衆化する前の“ネットワーカー性善説”が大真面目で語られてたぐらいの頃だから、今とは比較にならない(ブログなんて言葉もなかったし、2ちゃんねるだって存在していなかった)。ただ、今回はあえて積極的な意志をもってそうした。
 まあ、理由は理屈で語るよりは、実践で示していこう。とにかく、もう名前をなくしたくはない。