なぜ鳴くの?
カラスが大騒ぎしながら群れていると、どうも気になる。それはエサの存在を暗示していて、都市部でのそれは生ごみである可能性が高いんだけど、そこにひとつの可能性が紛れ込むからだ。その1、最初から生ごみだった場合。その2、途中で生ごみになってしまった場合。
うちは閑静な住宅街の一角にあるんだけど、塀に囲まれた広い庭のある家での“カラスの大集会”に出くわしたときは、どうにも落ち着かなかった。たとえそれが野良猫かなんかだったとしてもね。ましてや…‥まあ、その後警察が来ていた様子はなかったので、後者の心配は懸念だったようだが。
古今東西、墓場とくればカラスがつきものなのは、実際このためなんだろう。今の墓場なんて、きれいなものだ。
ところで、カラスはなんであんなに騒ぐんだろうか。
仲間を呼び集めてるんだろうとなんとなく思っていた。だけど、彼らは基本腐食性だ。捕食動物なら集団の持つ戦闘力が獲物を仕留める上で役に立つけど、カラスの場合、分前が減るだけ。なのに大声で鳴くというのは、利他行動と考えていいんだろうか。
生活の他の局面では、集団としての力を使っているようだ。鳴き方で、低く切れ切れに鳴いているときのは、警戒音なのだという。仲間に危険を知らせるということで、そういうことをお互いにやりあうからこそ、集団で暮らしている。エサを見つけて鳴くのは、そういう社会性の一つなのかもしれない。カラスのは、群れというよりはほんとうに個体の集まりって感じなんだけど、そういう中途半端な社会性というのも、人間に共通するのかもしれない。
ただ、ぼくはこうも思う。単に悦びの結果、出てきてしまうんではないかと。
「うわっ!」
なんて叫び、ぼくたちは上げることがないわけじゃない。カラスは賢いけどあくまでもトリとしてはであって、馬鹿な人間以上に頭がいいなんてことはないだろう。で、つい声にでちゃう。個体にとっては生存に有利というわけではなくても、その近隣に住んでる他のカラスたちにとっては有利だ。つまりは、そういう特性もってる遺伝子のほうがより集団内に定着しやすいってことで、ドーキンス流のロジックからもこのことは裏付けられるわけだ。
ここまで書いていて、ふと気がついた。カラスはなぜ鳴くのか、なんて子供の頃から聞かされていた公案じゃないか、と。歌が疑問を言葉にしてしまった結果、ほんとうの疑問は摘み取られてしまってたようだね。