ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

再会から再開へ(2)

 前述のとおり、何度も辞めてきた読み物ページ。「やまだのホームページ」だった頃もあるし、パーソナルウェブマガジンのときもあり、もちろんブログのときだってあった。最近ではツイッターがそうだった。時代ごとに新しいものが出てきて、その都度つきあってきた結果だ。

 最初のやめた理由は思い出せない。ただ、そこに至る道のりは、わかっている。

 最初のうちは楽しくて書く。そこには、未来へのほのかな期待なんてものもある。書いたものが巻き起こす反響だ。それは社会を動かすかも知れない。そこまでいかずとも、未知の読者の人生に大きな影響を与えるかも知れない。そしてそんな読者の中に、出版関係者だとかコンテンツプロデューサーだとかいった、クライアントたるべき相手も混じっているかも知れず、そこから新しい仕事が始まるかも知れない。そんなもろもろだ。

 だが、やがて書くのがおっくうになってくる。また書いたものが巻き起こす反響というのも特になく、虚空に向かって演説をしている春先のおじさんたちとさほど変わらないような気持ちになってくる。一方で、巨人の存在も知る。自分と同じ方向性で、自分より圧倒的な質あるいは量の文章を公開している人だ。絶対に叶わないことを思い知らされる。

 こうなると、辞めるための口実を探し始めるわけだ。で、こんなことを考えたりするわけだ。

「オレはプロだ。物を書いて金をもらうのが仕事だ。無料の仕事なんか、やってられるか!」

 実際には、そのプロこそが明らかに金にならない文章でも全く惜しみなく書くことは、ツイッターの時代になって思い知った。書くことを惜しむか惜しまないのか。その心のありかたが、なんちゃってプロと本物プロを分け隔てていたのだ。

 その後何度も迎えた“最終回”だが、そこに至るまでの経緯は、だいたい同じだ。