ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

再会から再開へ(4)

 読み物ページを動かしていくにあたっていちばん悩んだのは、自分のペルソナだ。これをどう作るのかという意味で、行き詰まってしまったのだ。

 人はたいてい何らかのペルソナをつけて、社会生活を営んでいる。ただ、現実世界でのペルソナは、環境との相互の影響によって作られるから、そう意識しなくてもいい。早い話、学生に囲まれて「先生!」と呼ばれていれば、いっぱしの教員になっていく。ところが仮想世界にはそれはなく、全て自分で意識的に構築しないといけない。

 それは自分というキャラクターを作る行為だとも言える。ゲームの企画屋(しかもシナリオだって仕事の柱だ)をやっていた人間としては、キャラ作りなんてのはお手の物のはずだ。ところが、そう簡単ではなかったのだ。作っただけではだめで、実践活動として続けなければならないからだ。

 そうこうしているうちに、世の中の流れのほうが代わってしまった。いまや書き手のキャラなどどうでもいいことだ。

 実を言うと、ブログ本来の意味では、まとめサイトのようなもののほうが正しい。「ブログ」すなわち「ウェブログ」で、ウェブを訪ね歩いたログブックというのが本来の意味だ。―ここにはこんなことが書いてあるぜ、でもオレはこう思うけどな―この後半だけが注目されたのが、日本流のブログ。そういう言葉ができる以前から単なるウェブ日記はたくさん公開されていたし、ブログ概念の上陸後も、それが置き換わっただけで進んだのだ。だから昨今の状況は、正しい視点からは「正常化」と言えるかもしれない。