ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

F1まとめ書き(2)

 実のところ、日本人にとってセナというアイコンは、モータースポーツだけのものじゃない。「バブル」という、その頃を生きた者にとって忘れようもない一時代を象徴する存在だった。

 あの頃、日本はF1で浮き立っていた。今の若いモータースポーツファンには実感できないだろうけど、当時の日本では、F1はプロ野球に次ぐメジャースポーツだったのだ(まあ、ゴルフやテニスもあったから、同着の2位ってところかな。ちなみにJリーグの発足は、バブル後けっこう経ってから)。今では深夜のBSでしか見られないテレビ中継も、あの頃はフジテレビの地上波全国ネットで、しかも生放送だった(全戦じゃなかったと思うけど)。

 そして中継される映像も、まさに日本のプロスポーツ。最強チームのエンジンをはじめとして、日本企業のオンパレードだった。自動車とは無関係の会社の名前も、スポンサーとしていろんなマシンのあちこちに入っていたし、ドライバーだって常時二三人は日本人がいた。こうなってくると、影響は見えるところだけではなく、システムにも及ぶ。実力/実績のどちらでも明らかに格上な欧州人選手が、チームメイトが日本人だというだけでセカンドドライバー扱いされたりとかもあったし、そうこうしてる間にチームごと日本人や日本企業に買い取られたりもしていった。これは、視点を変えると「F1が日本に浮かれていた」ということにもなるんだろう。

 なぜそうなったのか。スパークリング飲む以上どうせならシャンパンだし、シャンパン飲む以上どうせならドンペリ。バブル期の日本は「いいもの、高価いもの」志向が極端に強かったのだ。スポンサーマネーが押し寄せたのは、最初は国内のモータースポーツだ。それが世界へと広がり、やがて頂点たるF1まで辿り着いたのも、バブルの進行から言って必然だ。

 広告産業というのは、時代の空気を読み、それをヒートアップさせるシステムでもある。そしてテレビは、広告産業が持つ最もパワフルな装置だ。“えふわん”という、聞いたことがないわけでもない言葉がやがてメディアを満たすようになり、そこにいる世界的なスター選手が紹介されていく。やがてフジテレビによる全戦の全国中継が始まり、熱狂の中、日本グランプリが始まっていった。