ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

F1まとめ書き(3)

 あの頃、突如として沸き起こったF1ブームだが、誰もがそれを歓迎したわけではない。特にそれ以前からF1を知っていた者にとっては、むしろ逆だっただろう。ぼく自身も、そちらの側の人間だった。

 実際、バブル期の日本でのF1ブームというのは、実にかたはら痛い存在だったのだ。ついこの前までプロトタイプとフォーミュラの違いも知らず、スポーツ志向の車好きを全部ひっくるめて暴走族扱いしてたような連中が、やれマクラーレンだのウィリアムズだのと騒ぎ始めるのだから。

 しかも、よりによってF1だ。F1の素晴らしさは、非日常性にある。日常では聞いたことのないチームがマシンを作り走らせていて、そのマシンにも見たこともないようなスポンサーの名前がついていて、そのへんの非日常性が良かった。つまりは日本的でないところへのリスペクトだったから、そのF1の日本化というのは、花園を半獣人に踏み荒らされたような感覚でもある。

 でも、たぶんぼくみたいな人が実際にはたくさんいたんだろうと思う。そして、私設エヴァンジェリストとして、「本当はこんなに素晴らしいんだ」をせっせと説いて回ったんだろう。

 ところであの頃、国民的関心事だからこその問題がひとつあった。レースの結果が翌朝のニュースに出てきてしまうのだ。

 時差の関係で、ヨーロッパのレースは深夜になる。本来なら録画しておいてじっくり見たいんだけど、朝一で結果を聞かされてしまうとあっては、そうも言ってられない。

 そういう点では、今はいい時代とも言える。新聞のスポーツ欄には数行の記事で結果が乗るから油断はできないんだけど、基本的に大丈夫だ。まあ、日本人選手が勝てれば話も変わるだろうし、だから「あ、小林、今回もダメだったんだ」なんてことはわかってしまうんだけどね。