ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

F1まとめ書き(5)

 ぼくにとってモータースポーツへの興味は、中学生時代に遡る。

 70年代の終わり頃、ちょうど映画『ラッシュ』でやっていた時代だ。スーパーカーブームの余波でモータースポーツも注目される中、日本でグランプリが開催された。中学生としては、ガキンチョどもといっしょにランボルギーニのカード集めて喜ぶなんて訳にはいかないが、そういうのが嫌いなはずもない。微妙なバランス感覚から指向したのがF1で、以後は中学生ならではの無駄な暗記能力を発揮、全チーム全ドライバーの事細かなデータまで、いつの間にかそらんじるようになっていった。日本でのグランプリはたった2回で終わってしまったが、「F1素晴らしい!」の気持ちはすぐには衰えることはなく、少しずつ萎んではいったものの、ある程度続いていったのだ。

 あの時代というのは、今振り返ってみても、長いF1の歴史の中でいちばんカオティックな時期だったんじゃないかと思う。行き詰まりのカオスではなく、ちょうどイザナギさんご夫妻が長い鉾で下界をかき回してるときのような、創造のためのカオス。レギュレーションは、今のような「何かにさせる」ためにあるのではなく、「何かをさせない」ためにあった。つまり、どんなマシンを作るのかは原則自由であり、ただ競技としての公平さを守るためにいくつかの制限が加えられていたということだ。何しろタイヤの数すら、4つじゃなくてもよかったほどだ。空力パーツだって、決まっていない。フロントは必ずしもウィングではなく、スポーツカーノーズという固定式を採用しているチームもたくさんあった。

 その結果誕生したのが、ウィングカー。ボディ全体を空力パーツにして、ベンチュリ効果によって桁外れのダウンフォースを獲得するというコンセプトだ。最初に登場したウィングカーはそれまでの記録を数秒縮めたという。これがオノゴロ島になり、以後各チームの方向性は急速に収斂していった。それは同時に、デザイナーのインスピレーションで造形していた時代の終わりでもある。「試しに走らせてみたら速いかも」でやってた時代から、科学が導入される時代に代わってしまった。