F1まとめ書き(9)
今、F1は浮ついていると思う。
いろいろな国で開催されるようになった。でも、拡がった分、薄くなってしまっている。バーニー・エクレストン(F1の首領)には、思惑があったんだろう。グランプリを開けば、それが起爆剤になってその国にF1ブームが起き、バブル期の日本のように次々とスポンサーが集まるばかりか、下位カテゴリーに至るモータースポーツの裾野が広がっていくとか。
しかし、日本には元々50年以上のモータースポーツの伝統がある。F1上陸のずっと前からプロによるチャンピオンシップが開かれ、目の肥えた玄人な観客が身銭を切って詰めかけていた。そんな状況の中でF1は登場したのだ。切り株のところに接ぎ木をしたから大きな樹に育ったのであり、砂地の上に苗木をおいただけで同じ効果を期待してはいけないだろう。韓国グランプリは、ついに今年なくなってしまった。中国はまだ続いているけど、先行きは不透明だ。国際市場において、日本が後退した後を埋める常連だった両国ですらこうなのだから、他の国なんて期待のしようもない。
では、どうあるべきなんだろうか。
北米のモータースポーツは、インディカーにしろNASCARにしろ、ほとんど北米でしか開催しない。そして条件も平等だ。マシンもワンメイクかそれに近い状態。レーシングチームは、ビジネスとしての成算を持った上で、マシンを購入してチューンし、ドライバーを雇ってレースに参加する。それはプロフェッショナルの世界だ。だからドライバーも当然ギャラを貰って走る。一方F1はというと、スポンサーマネーが全て頼り。ドライバーにしても、カネを貰って乗ってる人なんて半分いるかどうかで、これじゃプロと言うことすらはばかられる。
とはいえ、ヨーロッパに閉じこもっているのなら、もうF1なんてやらない方がいい。70年代にはそれが王道だったとしても、もうぼくたちは違う所まで来てしまっているのだ。
気がついてみると、ずいぶん長いこと書き続けてしまった。ゲームとの関わりとか、本当はそういうのを書こうと思っていたんだけど、なかなか思うようには行かない。そして気の利いた結びを付けたかったんだけど、この点でも思うように行かないようだ。
ともあれ、今回はこれまで。また何か書けることを思いついたら、ふらっとやってみることにしよう。