ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

遠すぎた箱


 何軒も回ったのに品物がなくて途方に暮れるなんて経験は、だいぶ少なくなってきた。アマゾンか楽天で探せば一瞬で見つかってしまうからだ。それでも、ほかならぬ情報家電分野でその思いを味わっている。
 エプソンのインクカートリッジのリサイクルである。
 インクジェットプリンターのカートリッジには、電子部品が組み込まれている。これを有効に再利用するという建前で、メーカー自ら回収をしている。家庭用の場合、回収ボックスが主要な店舗に置かれているから、そこに入れてくればいい。
 ところが、Webを頼りに「設置店」に行ってみても、置いていないのだ。
 もちろん、リストの店をすべて回ったわけじゃないけど、Webで確認して店まで行ってみたら外れなんて経験を3度も繰り返せば、何かおかしいんじゃないかと思えてくる。
 実は回収ボックスそのものは、確かにそれらの店にきちんとおいてあった。問題は、業者だ。エプソン純正のものがあるはずなのに、そこにあったのはサードパーティ製のものばかりだった。
 もしかしたら、消火器セールスとおんなじ手口で営業が回ってるんじゃないか?
 「どーも、エプソンの“方”から来ました。
  回収ボックスですけど、新しいのと取り替えておきますね」
 いや、もちろん何の根拠もありませんよ。でもね、名古屋の特定地域だけの3店にそれが起こってるとくれば、どうにも想像しちゃうじゃありませんか、“仕事熱心なルート営業”の存在をね。



 このようなことを書くと、「なんでメーカーのボックスじゃないとダメなの?」と思われるかもしれない。これはひとことで言うなら、コンテンツ産業関係者としての矜持だ。
 サードパーティ製の回収ボックスは、エコのためにあるわけじゃない。彼ら自身が製品を作るためだ。メーカーの知的財産権の侵害にならないように商品を作るために元の空きカートリッジを集めているんであって、ようするに無料で材料を調達するために、ああいうおためごかしな箱を設置しているのだ。
 では、プリンタメーカーが天使のように清らかなビジネスをしているのかというと、決してそんなことはない。
 プリンタは典型的なカートリッジ商法で、プリンタ自体は極端な低価格で販売、インクカートリッジで元をとるというビジネスモデルになっている。ぼくが使っているエプソンの場合、6本セットの価格はアマゾンで5千円くらい。ではその元になるプリンタはというと、2万かそこらで購入している。廉価版のプリンタになると、この比率はもっと激しくなってくるだろう。だいたいインクカートリッジからして、4色が1つになっていたりするのだ。どれか1色でも使い切ると、残りの量にかかわらず、買い換えなければならない。こういうのは、ユーザーとしては腹立たしい。
 でも、である。
 メーカーはプリンタを作っている。作った上で、このビジネスモデルを導入しているのだ。一方でサードパーティは何も作っていない。他社が作ったビジネス環境を、非紳士的な手法で利用しているだけだ。
 ぼくたちは、どちらを応援すべきだろうか。一般人なら悩んでもいいけど、コンテンツ業界関係者(&これからそれになろうとする人)なら即断してほしい。アプリを購入して使い、ゲームも購入して遊び、ビデオは少なくともレンタル店で借りてきて観る。大多数の人がそうするという前提で、コンテンツ産業は成立している。そしてプリンタメーカーに払ったインクカートリッジ代金は、その次の製品開発に回される。
 もちろん、ぼくひとりが買ったからといって、全体に何の影響もないことは知っている。だから矜持としか言いようがない。そしてこれもまた、クリエイターにとって必要不可欠の栄養素なのだ。



 エプソンの回収ボックスがない理由、あれこれ考えてみる。
 もしかしたら、本社が勘違いをしているのかもしれない。実際には存在しないのに、日本中の小売店にボックスが設置されていると思い込んでいるとか。
 ボックスの目的は、実際にはリサイクルではなく、自分たちのビジネスモデルを侵食するサードパーティへの対抗策だ。だから、回収なんてせず、そのまま捨てているのかもしれないのだ。もし、箱の設置から処分までを現場に任せていたりすると、確認はできない。
 エプソンという会社の規模から言って、名古屋あたりの小売店に直接回っているということは難しく、代理店を通じた営業になっていることだろう。代理店は通常他の会社の仕事もする。もちろん、ライバル社の商品を直接扱ったりはしないけど、互換インクを出しているような業者は、キャノンやHPとは異なる業態だから、競業忌避にはかからない。
 で、エプソンから、リサイクルボックスの設置が、設置後の回収品の廃棄とセットで指示されたとする。小売店に頼んで設置できた状態で、サードパーティからも同様の依頼があったら? 当然優先するのは、リベートの出る方だけとなるだろう。
 実際、より営業力の高そうなキャノンのリサイクルボックスは、ないでもなかったのだ。サードパーティ製ボックスと並んでおいてあったりして、いっそそっちに入れてしまおうかと思ったくらい。
 以上の話ですけど、もちろん全然根拠ありませんよ。推測ですらありません。真実そうだと思っているわけでもないですから。では何かというと、可能性の提示、これだけ。
 企画屋というのは、あらゆる可能性に気づいていなければならない。怪物を覗きこむ時、自らも怪物になってみることが必要なのだ。



 エンドユーザー向けの商売(B2Cなんて言い方、今でもするのかな)というのは、芸能人にも似た人気商売だ。歌手が、歌以前に歌手として好悪の対象になるのと同じで、消費者のそのブランドに対する好き嫌いは、必ずしもユーザー体験だけによって育まれるわけではない。
 ぼくのエプソンびいきは昔からだ。最初に買った16ビットのデスクトップ機が、PC286US(『墜落日誌』のうっしー君ですね)だった。ただ順番から言うと、ひいきするようになってから購入したという方が正しい。
 16ビット機の時代、PCは今のようなオープンアーキテクチャの時代ではなく、会社の製品シリーズごとによって異なるアーキテクチャが使われていた。ソフトとか周辺機器とか、シリーズが変わると互換性がなくなってしまうから、おいそれとは乗り換えられない。そしていろいろな経緯からNECのPC98シリーズが日本のデファクト・スタンダードとなり、ほぼ完全に市場を支配するようになっていた。
 あくまでも「デファクト」であって、アーキテクチャ自体はNECの私有物だ。そこで彼らは独占的な地位を利用して手前勝手な商品政策を展開、一般ユーザーに不便を強いていたのだ。海外ではオープンアーキテクチャのIBM-PC/ATがデファクト・スタンダードだなんて話を聞き、歯噛みしていたものだ。
 そんな中発表されたのが、エプソンが独自で開発した(=非ライセンスってことね)PC98互換機『PC286』だった。インテル80286という、NECの商品政策上「高級機用」とされていたCPUを堂々と使ったそのマシンは、同格のNEC機よりも性能が高く、価格も安かった。もちろん独占を崩されるNECとしては黙っていない。すぐに法的な手段で抹殺を図る。ところがエプソンもそれを予期していた。仕様が若干異なる別バージョンをすぐさまリリース、予告した期日どおりに市場参入を果たしたのである。
 圧倒的な巨人に敢然と立ち向かう若き勇者。敵の振りかざしてきた鉄槌をひらりと交わし、踏み込んできたその足にレイピアを突き立てる……どうです、厨二的なロマンに満ちているでしょう。20代の新しいもの好き青年がファンになるのも無理ないよね。
 そのエプソンが、互換インクタンクでへこまされてるというのは、どうにも皮肉な話なのだけど。



 「独占的な地位を使って手前勝手な商品政策」というのは、他人ごとではない。
 ぼくにとって最初に買ったデスクトップ機はエプソンだったけど、16ビット機はそうではなく、NECだった。その名をPC98LTという。
 「98アーキテクチャ初のラップトップ」という触れ込みのこのマシン、重さは約4キロである。今の常識からすると冗談じゃないほど重いのだが、まあ運べることは運べるわけで、利用価値は大きい。職場でも自宅でもパソコンを使いたいと思ったぼくは、さっそくプリンタと一緒に購入した。
 ところがこのマシンには、重量以外に大きな問題があった。実際にはPC98でもなんでもなかったということだ。「一部のソフトは動作しません」なんてカタログには書いてあったが、とんでもない大嘘。互換できるのはDOSの外部コマンド程度で、実用アプリだろうが開発ツールだろうが、専用に開発された製品以外は全く動かなかったのだ。
 なぜ、こんなものが世に出てきたのか。
 当時のコラムニストの書いた記事からひくと、「業界の持ち合い構造を守るため」だ。
 NECの独占的な地位は、ソフトの大半がPC98用であることからくる。だが、当時パソコンは概ね普及しきっており(後から考えると大笑いだけど、これが当時の常識)、ソフトベンダーはそれまでのような利益を挙げられなくなっていた。この状態で完全互換のラップトップ機を出してしまうと、ユーザーは同じソフトをそのまま使うから、ソフトは売れないままだ。そのため、あえて互換性のない機種を売ることで彼らの利権を尊重、今後もよろしくお付き合いを…ということにしたのだという。
 エプソンが、(厨二属性を持たない)一般ユーザーにとってのダビデになれたのは、これのおかげとも言える。ラインナップを拡充する中、エプソンはデスクトップと完全互換のあるラップトップ機をついにリリースしてきたのだ。かくしてゴリアテは倒れ、再び立ち上がった時には市場のルールが大きく変わっていて、彼自身も完全互換のラップトップ機を出さざるを得なくなっていた。やがてこれがノートPCへとつながり、それまでどうにもマイナーな存在だったパソコンが、ポータブルワープロに代わって職場にも家庭にも入り込んでいくようになったのである。



 いつの間にか、インクカートリッジの話がエプソンの話になってしまっていた。だけど、書きかけたことを途中でやめると気持ち悪いから、もう少しだけ続けてしまおう。
 立ち上がってからのゴリアテは本気を出し、その結果、市場には十分に魅力的なNEC製品が並ぶようになった。こうなるとどっちでもいいようなものだが、逆に応援してやりたくなる気持ちが入り、ロイヤルティは高まっていく。こういうのは、元々社会の王道とは違うところを進んでいるゲーム屋の気質に馴染むのだろう。ビジネスアプリのメーカーは一応NECに義理立てしてか、パッケージには「PC9801VM以降」の指定がよくあったが、ゲームでは堂々とエプソンをあげていた。ガイナックスなんて、パッケージの対応機種欄に「PC286とその互換機」なんて表記してたくらいだし。
 最後に買った98アーキテクチャもエプソンだった。その名もPC386GS。フロッピードライブを3つも搭載できる、でかくていかついハイレゾ機は、Windows3.0を始めるために改めて購入したものだ。そしてこのマシンの“残念さ”が、「最後」になった理由でもあった(ただし残念さの責任の大半は、Windowsの方にある)。
 次のバージョンのWindowsは、もうPC/AT互換機になっている。と同時に、ぼくはMacを使い始めた。ずっと前から欲しかったのだが、価格的にあまりにファンタスティックで諦めていた(カラーを使おうとすると、最低でも80万ぐらいかかった)。それがその時代、低価格化したことが大きい。LC475という機種で、PC98用のディスプレイに出力できるボードを着けて購入したのだ。やがて独立してからはMac中心になり、以後「ノートはPC、デスクトップはMac」の時代が続き、この天秤が何度か振れ、今は「どっちもMac」になっている。
 そんな中、一回だけPCアーキテクチャのデスクトップ機を買ったことがある。エンデバーという、BTOマシン。販売ブランドは、エプソンダイレクトだった。



 カートリッジ商法というのは、基本的に腹立たしい。というのも、本質的に「だまし」っぽいからだ。いくらファンといっても、踏まれても蹴られても黙ってついていくなんてのは、ロイヤルティではなくただのマゾだ。とはいえ、その価格が正当なものなら、そう息巻くことでもないだろう。
 ただ、たとえインクの価格が正当だったとしても、あまりに浪費的設計をされると付き合いきれなくなる。
 EP901の困った特徴は、スイッチを入れるたびにノズルクリーニングをすることだ。この時、インクをかなり消費する。結果として、ほんの二三回しか使っていないのに、インクの残量表示が半分を切ったりする。そして、単なる黒一色の書類でも、全部のインクを使いたがる。文字の辺縁のグレイスケール部分を馬鹿正直に再現しようとするせいなのだろうか。結局、必要でもないカラーインクが、どんどん減っていってしまう。
 前者の問題に対しては「スイッチを切らない」という実にコロタマ(コロンブスの卵)な解決方法を見つけたのだけど、後者はどうにもならない。そしてあるとき、学生たちの同人活動の手伝いのために、ポストカードや文庫本のカバーなどを大量に作ることになった。そしてこのとき、何度もインクセットを買いに行く羽目になり、もう付き合いきれないと悟ったのだ。
 これは、そもそもなんでカートリッジ回収ボックスを探し出したのかの答えでもある。だが、実はもう使用済みカートリッジは、これ以上増えない。
 インク問題で頭を悩ましたぼくは、あるとき最終解決方法に気がついた。そう、インクジェットをやめればいいのだ。レーザープリンタは高嶺の花だ。だが、こんなに頻繁にインクを買うことを思えば、ましかもしれない。そもそも同人誌の手伝い以外では、カラーなんて使わないんだし。
 そして価格ドットコムで調べた直後、思わず叫んでしまった。
「なんでこんなに安いんだよ!」
 レーザープリンタが1万そこそこだったのだ。これまでのインク2回分程度。実際にはもう少し高いのを買ったのだけど、それでもインク3回分程度だ。これで、自動両面印刷対応のレーザープリンタが手に入ってしまった。
 まあ、よく調べてみるということが大事だ。きちんと情報を持っていれば、使用済みカートリッジの山もできなかったのだろうし。



 現在でも、EP901は一応ある。カートリッジも、もう1セット分残っているから、しばらくは使うことになる。前までのようにバカスカ消費することもないのだし。
 で、今のメインユース。これはキャノンだ。LBP6200という。
 キャノンは、エプソンとは逆に、ネガティブなロイヤルティの対象だったところがちょっとあるブランドだ。きっかけは、高校時代。一眼レフにのめり込んでいて、ぼくはミノルタを使っていたのだけど、キャノンユーザーである友人がそれをあざ笑うのが悔しかったとか、結構どうでもいい理由だ。ただ、いちど嫌いになると、その後は嫌なところばかりが目立ってしまう。御手洗会長の発言(経団連の会長だったころですね)が気に入らないとか、偽装請負なんぞやりおってけしからんとか、そんな感じ。
 そして決定的だったのが、やはりカメラ。父から譲り受けた一眼レフがあったのだが、マウントはFD。そのため、今のキャノンのデジタル一眼を買っても、レンズが一切使えない。旧来のユーザーをばっさりと切り捨てるそのやり方が許せないという、ほんとうは私怨なんだけど公憤の衣をまとえる怒りに震えたりとかね。まあそのせいで、デジタル一眼はパナソニックを買った。これはEOSよりも断然いい買い物だったと思っているから、幸いだったのだけど(カメラ話はまたいずれ)。
 今、使ってみて、かなり気に入っている。キャノンの名前とかロゴとかは元々かっこいいと思っていたし、これまでのネガティブさはくるっと逆回転しそうな感じがある。作家とか芸能人とか政治家とかも、そういうものなんだろうか。考えてみたら、若い頃は「共和主義者」だったけど、今は日本が「君主国みたいなもの」であることを嬉しくも思う。
 まあEOSは買わないだろうけどね。