ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

持ち家プロローグ(4)

 人生における初引っ越しは、幼児期のことになる。

 元々南部の市営住宅に住んでいたのだが、父親が一念発起して郊外に一戸建てを購入、一家として移り住んだ。これが、最初。

 ただこのときのは、あまりに幼すぎ、全く記憶が無い。そして二度目は、自分が成人してから。大学に入るためで、それなりに荷物もあったけど、まあ実際にはファミリア一台に乗り切った程度だから、身一つとそんなに変わらない。以後、独身時代に4回、結婚する時&してからとで3回。多摩ニュータウン→笹塚→千歳烏山→成城→拝島→久我山富士見ヶ丘)×2回と重ね、その後が名古屋だった。

 人生上通算9回目となる今回は、これまでになくたいへんだったけど、これで最後だ。「家を買う」にはいくつもデメリットがあるが、「これ以上引っ越さなくていい」というのは、とてつもなく大きなメリットだといえる。

 ところで、はじめての引っ越しの前にいた市営住宅、ほんとうにおぼろげなのだけど、憶えがある。そう断言できるのは、名古屋に戻ってきた10余年前に、実際に訪れてみたからだ。

 競馬場のところから、とぼとぼと歩いた。実際、何かを期待していたわけではない。だけど、貨物線の踏切に立ったとき、「ああ、この土地に確かに生きていたんだ」と理解できた。気が付くと、涙が流れていた。その時はまだ両親とも郊外の一戸建て自宅に健在だったから、通常の意味においては泣く必要なんてない。だけど、どうしても涙が止まらなくなってしまったのだ。

 今、もうその風景はない。貨物線は潰され、敷地の上に「あおなみ線」という極端に客の少ない新規路線が高架で作られた。この鉄道、市長のアイデアで、蒸気機関車が一度だけ走っている。動態保存運行を行って観光客を呼びこむというのだけど、文化的には恐ろしく空疎な発想だ。凸型ディーゼル機関車に無蓋貨車でも引かせるのならともかく、縁もゆかりもないC56型走らせたって、ノスタルジーなんて感じようがない。