ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

薄くても厚くても


 「男の持ち物」というのはカテゴリー名にもしているけど、まあわざわざ「男の」なんてことわるところに、ある種の気恥ずかしさみたいなものがある。
 身の回りの品のことなんて、本来男はくだくだ言わないもの……必ずしも共感を感じないわけでもないその価値観を前提にすると、そもそも「男の持ち物」なんていい方が、形容矛盾なのだ。「男の装い」「男の化粧」「男のエステ」……どれも同じ。そこに反映されたX君の姿を想像すると、なんだか物悲しさまで感じられてきてしまう。
 もちろん、職業人として供給者の側に回ることは、全く恥じ入る必要はない。料理なんて、むしろ男の世界だ。だけど、そういう場合はそもそもわざわざ「男の」なんて断らない。それをあえて「男の料理」なんて言ってる時点で、「女のすなる料理といふものを、男もしてみんとてするなり」なんて慎みだか開き直りだか解らない何かを、どうにも感じてしまうのだ。
 ただ、実際はどうだろうか。男のほうが、社会生活におけるドレスコードはうるさい。しかも、僅かな単語から意味を読み取らなければならないケースも、決して少なく無いときている。案内状に「ブラックタイでお越しください」なんてあるパーティーに、もしお葬式用黒ネクタイを付けたスーツ姿で出かけたらどうなることか。「あいつぶぶ漬け食いよったで!」のノリで、長期にわたって後ろ指を差され続けることになるだろう。男だからといって、持ち物について気にしなくてもいいなんてことはない。
 そんなだから、少々の勇気と開き直りにもとづいて書くのだが、今気になっている持ち物がひとつある。財布である。



 財布と人望は厚い方がいい……なんて言い回しは聞いたことないけど、価値観としては外してはいないだろう。そもそも連動していなくもない。金払いの悪い大人は、なかなか人望を集められないだろうし。
 ただ、現実の持ち物としての財布を考えると、そうとも言い切れない。
 ぼくの財布に対する問題意識。それは厚すぎることだ。スーツスタイルでの財布の通常の収め場所は内ポケットになる。だけど、そこに入れた状態でボタンをかけると、どうにもならない圧迫感がある。位置的にも、良くない。ちょうど大胸筋の下端を中心に設けられているから、ここにすっぽり収まる長財布を入れると、段差のあるところに密着させることになってしまう。
 厚みの元凶は、カードにある。
 特に長財布に顕著なのだけど、クレジットカードを入れるための場所が多く設けられている。で、これが全体の厚みを増してしまっているのだ。
 しかも、作り手の側は、「カードがこんなにたくさん入りますよ」と、それをメリットであるかのようにPRしてくるのだから、肩をすくめたくなってしまう。カードそのものを減らしてみても、カード入れ自身の厚みがすでに相当のものになっている。その部分は必然的に二重三重に革が渡されてるからだ。
 そもそも、あの密度、なにか意味があるんだろうか。全部埋めようとすると、カード自体の厚みが蓄積され、絶対入りきらないのだ。もちろん、トランプ厚のカードなら、その限りではない。しかし、プリペイドカードが消滅あるいはICカード類に変わりつつある今、そんなものの出番は増えそうにない。
 にしても、財布のデザイナーって連中は、試しに全部入れてみたことがあるのかな。やっぱりファッショングッズとしてしか考えていない? ぼくは、ゲームデザインも服飾デザインも、本質は工業デザインだと思っているのだけど。



 社会人生活も長いというのに、なぜ最近になってこんなことを言うようになったのか。実は、スーツをきちんと着るようになったためだ。
 元々ゆったり目のジャケットが好きで、大きめのサイズを選び、だぼっと着ていた。前はとめず、ぱーっと開いたままだ。そして、基本的にスーツではなくセットアップ。ボトムの方もタックの入ったゆったりシルエットのを、だぼっと履いていた。
 これは、“大人”としての条件付けが施された時期のせいもある。社会人になったばかりの頃、この国にはバブルの嵐が吹き荒れた。その頃流行っていたのが“ソフトスーツ”。ふわっとしたシルエットの、ちっともスーツじゃない服なんだけど、一応スーツと同じような素材で作られた上下揃いで、形式的にはスーツということになり、仕事でも着ることが許されていた。こういうのを得意になって着て、またうまく着ていた先輩職員に憧れたりしながら社会人生活を始めたわけで、ここでの刷り込みは尾を引いている。
 で、そういう格好をする限り、長財布だろうが折り財布だろうが問題ない。内ポケットでも尻ポケットでも、シルエットなんて気にする必要なく突っ込める。
 でも、いい年になってきて、体格がだいぶ変わってしまった。身長は同じ、体重もそんなに減っていないのに、ずいぶん萎んでしまったのだ。LからLLを着ていたのが、今ではMが普通。そんな中、だぼっとした服の着方が困難になって(むりしてやると、まるでコナンに成り立ての新一みたいになる)、心機一転、ちゃんとしたスーツをきちっとした着方で着てみた。で、予想外の問題に直面してしまったのだ。



 スーツというのは、実は単なる服ではなくシステムだ。「スーツシステム」の根幹をなすアイテム、ということもできる。
 スーツを伝統様式にすると、革靴にならざるを得ない。そうなると、歩き方から変わる。革靴の底は堅く、高く反発する。だから、力強い歩き方になる。
 鞄もビジネスバッグになる。トートバッグなどとの違いは、キャパシティ。トートだと、特に深く考えないままいろいろなものを放り込むことができる。しかしビジネスバッグはそうではない。これからの行動において何が必要で何が不要なのかをしっかり見極めなければならない。つまりトートでは不要な計画性が、ビジネスバッグでは必須となる。
 こうして考えてみると、やはり今の財布のあり方はヘンだ。家電品やガラケーと同じように、目に見える機能をアピールした結果、収納カード枚数なんてヘンなところで競争してしまっているのだろうか。
 実は「薄さ」という意味で、だいぶ前から気になっている財布がある。ファーロというブランドの、長財布だ。存在は雑誌で読んで知っていたが、名古屋駅の高島屋で実物を見て、驚いた。どきどきするくらいに薄いのだ。
 お金の心配さえないのなら悩むことはない。でも、なかなか買う踏ん切りが付かない。
 3万円代というのは、ブランド品としては、決して高い訳ではない。“C”や“G”のようなファッションブランドだと、ただその名が刻印されているだけのさっぱり気の利いてない財布だって、同じぐらいする。でも、ここで比較すべきは、自分のこづかいだ。正直なところ、月あたりの自由になるお金がすでにそのぐらいなわけで、「有り金はたいて財布を買う」という、なんだかオー・ヘンリー的なジレンマに陥ってしまう。
 そのものずばり「薄い財布」なんて商品もある。価格は、ファーロの半分くらい。ただ、こちらはふつうに機能的な財布ともいえ、そうなるとこの値段は高く感じてしまう。勝手なものだけどね。



 数回にわたって書いてきた財布問題。あれこれ悩んだ結果、いつものように姑息的かつ根本的な解決方法にたどり着いてしまった。
 それは、使い分けるということ。小さな三つ折りの財布を用意して、スーツの時には中身を移し替えて使っているのだ。
 もちろん長財布の中身全部は入らない。でも、どうしても入れなければならないものはそんなにない。若干の現金と免許、それにクレジットカードと交通カード。これだけ入れられれば十分だと言える。
 三つ折りだけあって、かなりコンパクトだ。そして、キャパシティが小さいから、そんなに厚くならない。内ポケットに入れると、大胸筋の下のくぼみにすっぽりと収まるし、スラックスの左右のポケットにだって入れられる。
 考えてみたら、いつでも同じものを使おうとしたことが問題だったわけで、TPOに応じて違う道具を使えば良かったのだ。この辺、時計とかと同じ。スーツとスポーツの両方に合う時計を探して苦労するぐらいなら、単純に二本揃えればいい。
 そもそもスーツというシステムは、現代的な現場の実務家にとっての戦闘服だ。そこには哲学が込められている。タイタニック号の時代の上流階級のように従者にあれこれ持たせるのではなく、必要なものを自分自身の判断で選び、持ち、歩くという価値観が、そこに体現されている。ビジネスマンに計画性と予想能力が必要不可欠なように、スーツを着るということは、自分の行動に計画を与え、起こることを予想しておく、そういうあり方が前提になっている。
 なんて、あれこれ書いてきたけど、実は正統スーツなんて、やはりたまにしか着ない。勤務校でも、以前は「ネクタイ着用」が決まりだったけど、今は自由。こうなると、デザイナーや大学教員がしているような「かっこいいカジュアル」を考えていかないといけない。
 闘いは、新しいフィールドに移ったわけですよ。