ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

本棚を待ちわびて

 人はなぜ本を買うんだろうか。

 キーワードは知識。人は生まれながらにして知ることを欲している。本というのは、知識を得るための道具だ。だから、本は、どんな時代でも人々に求められる。

 でも、ひとつ注意する点がある。本は、「マテリアル化された知識」でもあるということだ。手で触れることができると、それは物欲の対象だ。情報を得たいという欲求は、本来はそれによって自分自身の内面をバージョンアップしたいということのはずなんだけど、単なる物欲に置き換わってしまう可能性もあるのだ。とりあえず本を買い、並べて満足する。そして、持っているというだけで、そうでない人に対して優位に立ったようなつもりになってしまう。


 引っ越しの結果、本棚のキャパシティを大きく超える量の本が、新しい書斎に運び込まれてしまった。これまで、家のあちこちに分散させていたものが集まってきた結果だ。二段重ねにしたり床に積み上げたりしてどうにか部屋を落ち着かせた。ただ、壁一面に本が無造作に積み上げてある状態になってしまった。

 で、この半ば無秩序な背表紙たちを見ながら思ったわけだ。なんでこんなに買っちゃうんだろうか、と。

 もちろん、ぼくは自分の積極的な意思に基づいて「買う派」を続けているんであって、文字通りに疑問に思ってるわけじゃない。

 本を買う最大の意義は、読み返せる可能性にある。知識なんて簡単に揮発する。でも「どれに書いてあった」のインデックスさえ残っているのならすぐ復活させることができるわけで、これによって脳のキャパシティの何倍もの知識を、自分のものにしておくことができるのだ。これを成し遂げるためには、手元においておかなければならない。「借りる派」には無理な芸当だ。

 でも、現実問題として、ここにある本のほとんどは、たぶん二度と読み返すことはない。それどころか、読んだ経験すらさっぱり思い出せない本もある。