ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

本棚を待ちわびて(3)

 知的な生き方。この単語がぼくにとって蠱惑的なキーワードになったのは、いくつかの本との出会いからだ。

 渡部昇一氏『知的生活の方法』を読んだのは、大学通算3年めのときだった。本そのものを知ったのは、高校2年のとき(当時の担任が話していた)だから、最新刊とは程遠い。だけど本の価値が新しさにあるわけじゃないことなんて、言うまでもない。2つ目の大学の1年生というタイミングでこの本に出会えたことは、実に幸運だった。

 この本は、様々な知的ライフスタイルを、著者自身の体験と絡めて薦めてきている。そして「本は借りずに買え」というのも、その推奨行為の一つだった。「ビールはやめてワインを飲め」とか「書斎や書庫を中心に据えた広い家を作って住め(参考となる図面付き)」とか「その感性を満たすためにはオーディオも最高峰を」とか、書かれているお薦めの大半は実現できなかったけど、とりあえず本に関しては、アドバイスを守っている。

 なんて、茶化して書いてしまったけど、こうして文脈から抜き出すとヘンに見えるんであって、本そのものを通じて読むと、これが実に説得力があるんですよ。家についても「若い人は将来そういう家を建てる日を夢みよ」なんて書いてあって、まさか30年も経って本当にそういう機会が巡ってくるなんてね。結局建売買っちゃったから、せっかくの教えも反映できなかったけど。ともあれ、いい本です。今でも売っているようなので、機会があったら是非どうぞ。もっとも、著者の行動がその後ちっとも知的でなくなっていったのは、皮肉だったけどね。

 この「知的うんたらのふんにゃら」というタイトル、ノンフィクションの世界では“本歌取り”の対象で、よく似た名前のものが多数ある。ぼく自身の読んだ順番は前後してしまうけど、先行するベストセラーとしては梅棹忠夫『知的生産の技術』がある(敬称略にしているのはすでに歴史的人物だから)。情報の記録には媒体のサイズの統一を図るべし、そしてB6サイズというのがベストであるなど、実際に使用されるプラグマティックな技術が具体的に説かれているのだ。結論自体は風化してしまったものも多い(ex.漢字使用をやめよう、カナタイプで日本語を書こう)けど、説かれているのはコンピュータ以前の情報学で、その知見はコンピュータでの情報のハンドリングにも応用できるものだ。その時点ですでに古典の風格を持っていたが、アマゾンで調べたら今でもちゃんと売られているようで、ちょっとした驚きだ。