ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

本棚を待ちわびて(5)

 紙の本も電子書籍も、価値の中心にあるのが情報だという点では共通だ。ただ、この「情報」という言葉、案外正しく使われていないことが多い。単なるデータのことをそういうのだと思っている人が多いのだ。だから、ブルーレイを「CD-ROMの数十倍の情報量を持つ」なんて言ったりする。これは間違いだ。

 情報量とは、事象が起こる確率から求める数値だ(単位はエントロピー)。単純に言い切ってしまうと「確率の低いできごとを伝える情報は、情報量が多い」ということになる。だから、データ量的には同じ8バイトでも、「12345678」という文字列は「28746315」という文字列よりも情報量が高いし、「井の中の蛙大海を知らず」という言葉は「ちゃんと勉強しましょう」という言葉よりも、数日晴れが続いた後の「明日は雨です」予報は梅雨時の同じ予報よりも、高い情報量を持っている。また、多くの人にとって、小学校の算数の教科書は、中学校の数学の教科書よりも情報量が少ない。りんごが1つ、みかんが2つ……なんて数式には意外性がないでしょ? でも大学の数学科が使う教科書となると、少なくともぼくにとっては情報量はゼロみたいなものだ。全く理解できないからね。

 さて、本を所有するのは、その行為に価値があると思っているからだ。価値の中心は、情報量。そして電子書籍は、何よりもこの点で大きなハンデを背負っている。紙の本と比べると、あまりに情報量が貧弱なのだ。

 そもそも外観の時点でそうだ。紙の本であれば、中を読まなくてもかなりのことが解る。サイズや重さ、装丁、使っている紙の質感。重さとか。タイトルにしても、ただのテキストではない。使われている書体とか色とか。そういった情報が、内容を直接間接に示しているのだ。だから、フランス文学だと思ってフランス書院文庫を買うやつはいない。

 だけど、電子情報はそうはいかない。そもそも実体がないから本屋に並ぶことができない。「立ち読み」と称する機能にしたって、紙の本なら手にとって開くのと同じことをするために、わざわざファイルをダウンロードして開くという手間をかけなければならないし、その手間をかけたところで、読めるのは立ち読み専用に作られたファイルだけで、決して紙の本と同等のことができるわけじゃない。そしてそもそもショップの側がちゃんと用意していない限り、それすらもできないのだ(ソニーリーダーは、この点でもKindleに遠く及ばない)。

 だいたい「立ち読み」を実行するための判断材料からして、全然違う。本屋なら、ざっと眺めながら通路を歩いていれば、自然と目に付いてくる。同じことをオンライン書店のタイトルリストに対して実行できるやつがいたら、そいつはきっと草薙素子だ。