ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

本棚を待ちわびて(7)

 ここまでの論考は、暗黙の内にノンフィクション系の本を前提にしていた。ただ、情報量の問題については、小説の類であっても、例外ではない。

 例えば一度図書館で読んでしまった本は、なかなか買う気が起きない。未知の本ほどの情報量がないからだ。とはいえ、初めて聞く作家の本は買う気にならない。それが価値ある情報だという期待の度合いが、断然低いからだろう。

 結局いちばん購入されるのは、物書きとしての力量があり、作品の面白さへの配慮もあり、一作ごとに新境地を切り開く傾向がある、既知の書き手の本ということになる。期待される情報量が、だんぜん大きいからだ。さらに希少性があればなおよし。そんなわけで、村上春樹さんの本は毎回大ベストセラーになる。一方、下手な作家やマンネリな作家の本は売れない。そして、希少性の乏しい本だって売れないだろう。「数年に1回しか書かない春樹の総販売数が、なんで年数冊出してるオレよりも多いんだ!」なんて怒ってる作家もいるのかもしれないけど、それは作り手の勝手な論理だ。

 そして電子書籍が圧倒的に貧弱な情報量しか持たないという弱点も、変わることはない。書店で得られる情報がなくなってしまうという点も同じだ。実際、文芸作品は「他のお客がどのくらい買っているか」が、結構情報として宛になる。平積みか棚置きか。前者だとすれば場所はどのへんか。そしてどのぐらい山が減っているのか。こういったことは、電子書籍ではわからないのだ。

 あえて違うとすれば、そのことがそんなに問題にならないということだろうか。少なくとも、辞書のように利用するということはない。また、パラパラと立ち読みした結果、うっかりオチを読んでしまった……なんて失敗も無縁だ。

 とはいえ、それが他の問題点を全て打ち消してくれるほどに魅力的なことかというと、そんなものでもない。