ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

本棚を待ちわびて(9)

 ぼくが問題視しているのは、実は品質面だ。ゲームにおける「アタリショック」、そのようなことを懸念している。

 本は、著者だけで出すことはできない。発行人(社長)と編集人(編集長)がいて、両方がOKを出さないと出版されることはない。実際に著者が最初にぶつかる壁は、編集人の部下である編集者だ。彼と知り合うことがまず難しく、知り合った後はその気にさせなければならず、それに成功しても企画書が通らないことには先に進まない。そして、編集人が納得しても、ビジネスとしての成算がなければ、発行人を納得させることができない。結局、本にできるだけの原稿を持っていても、なかなか本は出せないのだ。

 だけど、このことが、大きな信用保証となっている。出版社からちゃんと出版されているというそのこと自体が、何段階もの審査を受けてきたことの表れだからだ。まあその割りには世の中くだらない本が多すぎるとも思うのだが、逆に一定比率では素晴らしい本も出ているわけで、トータルで言うとやはり品質保証は肯定できるだろう。

 ところが、電子書籍では、それがない。

 まず、メジャー出版社にとっても、厳しく企画を絞り込む必要性が薄くなる。彼らのその渋さは、本というマテリアルが案外カネのかかるものであることからくる。印刷して製本する費用とそれを全国に物理的にデリバリーする費用。これらを全部まかなえないようでは、出すわけにはいかないのだ。ところが電子出版なら、どっちもかからない。デザイナーがレイアウトを終えたら、後はほんの数ステップ、文字通りPCのデスクトップ上で作業は完結する。そして現実には、発行人も編集人も必要ないのだ。著者がいれば、それでできてしまう。

 ましてや、インディーズならどうだろうか。現実問題として、出版社のドアはまだまだ堅く、秘密の呪文でも持っていないと開きはしない。何の関わりも持っていない人間としては、インディーズで行くしかないだろう。だが、そうして作られる本は、全てを作者が責任をもってしなくてはいけない。客観的な視点から読者の声を代弁してくれる専門家がいるわけではないのだ。

 紙の本なら、同人誌と商業誌は全くの別物だ。読者だって、間違って買ったりはしない。だけど、電子書籍だとその違いはない。ぱっと見はまともな本のように見えるだろう。そういうものが何万点アップロードされていたって、豊かさはない。まさにノイズだ。ダウンロードしてもたいていは糞みたいなもの、そして糞と味噌の区別すら開いてみるまでつかないとしたら? そんなサイトには誰も期待などしない。データ量が何ギガバイトになろうとも、情報量は限りなく最小化されてしまうのだ。