ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

自転車でも走ってる(7)

 自転車は「調和」を重んじた乗り物だ。

 例えばそこに坂があるとすると、力づくでねじ伏せるのが車のやり方だ。車のための道は、たとえそこが丘陵地帯だったとしても、地図上の最短距離でつないでいく。風もそうだ。向かい風も横風も、考えは同じ。マシンにパワーがあればなんとかなる、その考えでしのいでいる。

 人力だけに頼る自転車は、そういうわけにはいかない。こまめにギアを切り替えながら、なるべく一定のケイデンス(回転数)を維持しながら走る。向かい風のときも、進む方向をちょこまか変えたりとか、あるいは普段より一つ小さなギアで走ったりとか、

 そして、人間社会の中にあっても、自転車のテーマは調和だ。

 いつも自転車で走ると思うことがある。

「これって、人間を信じているから乗れる乗り物だよね」

 十分とはいえない幅の路側帯、それがスポーツバイカーに与えられたスペースだ。ここにあるガードレールは、けっして自分をガードしてくれるレールではない。むしろ、車と呼応して自分を押しつぶすためにあるレールといえる。しかもこの通行レーンには、電柱という障害物が頻繁に道を遮る。こんな中、車はすぐ右手を通り過ぎていく。それで思ったのだ。見知らぬドライバーの腕を信じていないと、自転車なんて乗れたものじゃないってことに。

 そんなわけだから、きっとランニングとの調和も、いずれ良い知恵が見つかるだろう。悩みは悩みとしておさめていきつつ、後で見つかるより良い知恵に、今は期待したい。