ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

合言葉はアンチ反知(2)

 下品なおやじについての疑問は、水源部分に及ぶ。あれはどこから供給されてくるのだろうか、ということだ。

 時は誰にでも平等に流れる。下品はおやじは下品なじじいになり、やがて下品だった故人へと変わる。だからほっとけば絶滅するはずだ。なのに、いっこうになくならない。

 まあ、外国から大量に流入しているなんてことはないから、国内での供給なのだろう。となると可能性は2つ。元々下品な若者だったのが下品なおとなを経て下品なおやじになるということ。そしてもう一つが、ふつうのおやじが、あるときから下品なおやじに変わってしまうということだ。

 前者の可能性には暗鬱たるものを感じる。だけど、恐ろしいのは後者の場合だ。自分にとっても他人ごとではないから。

 このブログ、リアルタイムで事件を追いかけるような執筆方針ではないので、もうずいぶん過去の話になってしまっているけど、このあたりを切実に考えさせてくれるきっかけになったのは、例の都議会の野次事件だ。

「まったく下品なおやじってのはこうだから」

 なんて毒づいてたところ、後にこの発言主が50歳程度と、まさにドンピシャの同世代人だったことが判明、少々めげている。

 もっとも、ぼくが本件でいちばん不愉快だったのは、事件発覚後の都議会自民党幹部がテレビの取材に向かってしていた回答の方。

「は? 野次……いや、僕は聞いてないよ。なかったんじゃないの?」

 名前は忘れてしまったし、まあ覚えていても都議の投票とは関われないんだけど、あれは腹立たしかったね。人が嘘をつく生き物であることは仕方のない事なんだけど、同時に社会的生き物でもあるわけで、ふつうは平然とという訳にはいかない。サイコパスかなんかじゃないのかな。

 ところで、この都議会自民党幹部の名前を調べようとあちこち探しているうちに、ちょうどハフィントン・ポストにぼくの考えをそのまま書いてくれてるような文章が見つかった。そう、これなんですよ、これ。