ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

合言葉はアンチ反知(6)

 反知性主義とは何か。これが単に知性が嫌いというだけなら住み分けできるから問題ないのだけど、残念ながらそうじゃない。

 知性そのものには興味がある。ただ、欲するのは結果だけ。きちんと獲得することに対して消極的で、そういうことにしっかり取り組んでいる人を敵視する。そして、政治や社会に対しての関心についても、現実と向きあおうとせず安易な方法で世界を観察、そこから得られた表面的な印象だけで政治や社会を論じるから、結果として簡単に扇動されてしまうし、また扇動者にもなってしまう。なぜなら、知性というのは批判する力なのだが、反知性主義者ではこれを持ちようがなく、メディアに書かれているとかみんながそう言っているとかいうだけの理由でそれを受け入れてしまうからだ……こう書いていくとまるでインターネット批判のようだけど、実際にはそれよりもはるかに前、それこそ西南戦争ぐらいの時代から存在する。

 そして、右派限定でも、もちろんない。というか、むしろ左派の方が反知性主義傾向が顕著だったように思う。党本部が決めた現状分析をそのまま受け入れ、盲信的に行動に移すというのが、共産主義の基本スタイルだ。護憲と称する運動だって、そう違うわけじゃない(このへんは憲法の話題とからめていずれまた)。

 とはいえ、明治から昭和にかけてのそれと今のとでは、規模が全然違っている。インターネットのパワーはすさまじい。本来、知的デカダンスが真顔の冗談を楽しむための場だった掲示板は、今や反知性主義者の大牧場になってしまった。

 対策なんて何も思いつかない。なので、とりあえずシュプレヒコールでもあげておこう。

   アンチ反知!

   アンチ反知!

   アンチ反知!

 どうしても下品になりたかったら、おやじになってからにしようね。