ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

危ない夢日記

 若者だった頃、心理学にはまったことがある。といっても大学の心理学科でやってるようなちゃんとしたのじゃなくて、フロイトユング系の(よく言えば)文学的なやつだ。それで始めたのが、夢日記。枕元にノートを置いて、目覚めた直後でまだ記憶の残っている間に自分の観た夢の概要を書き留めるというものだ。

 1ヵ月ぐらいは続けただろうか。だけど、やめた。めんどくさくなってやめたのではない。危険性に気づいて身を引いたのだ。

 特に何もしていなければ、夢なんて揮発性の記憶だ。目覚めた直後は真剣でも、二度寝している間に忘れてしまう。ただ、実際には忘れてしまえた方が正解だったのだ。日記につけたりするから、忘れられなくなる。

 それまで他愛もないものだったぼくの夢は、日記を付け始めて以来、どんどんと先鋭化していった。ストーリーとしてダイナミックなものになったし、ときにイメージの洪水のようになったり。そしてそんな劇的な光景を書き留める夢日記が、いつしか生活の大きな部分を占めるようになっていった。同時に、睡眠そのものも良くないものになる。夜中の変な時間に目覚め、その都度日記書いて覚醒してまた眠る…こんなことを何度も繰り返しているうち、起きている自分と眠っている自分が次第に重なりあうようになっていった。

 夢に囚われる。一見詩的で空想的にも見えるこの言葉は、現実にだって起こりうることだ。