ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

危ない夢日記(3)

 さて、自分自身で封印した夢日記だけど、あるとき、また付けるようになった。「最近」というほど近くはない。まあ大体今年になってすぐぐらいだ。

 で、ここからそれを元に「山田版・夢十夜」が始まるのかというと、そういうわけじゃない。というのも、全然おもしろくないからだ。

 大人になってからの夢日記は、安全だった。かつて見たようなイメージの洪水はなく、超論理による大覚醒もない。登場人物は、主に教室で教えていた学生たち。実名かつそのままの身分で登場する。ストーリー自体もどうということのないものだ。空も飛ばないし、目からビームも出さない。読み返してみると、むしろただの日記のように見えてしまう。

 夢というのは、何でもできる。なのに、ふつうのことしか起きない。「心の欲する所に従えども矩を踰えず」ってところか。でもこれって、70歳相当の心境なはずだよね。

 実は日記に付けるようになったのも、そういうどうしようもないつまらなさが、妙に面白いと思ったからだ。ぼくにとっての夢というものが、大人になった結果として大きく変質してしまったのだ。それは、クリエイターとしてはとてつもなく大きな損失だ。頭がおかしくなるかもしれない恐怖を乗り越えた先に、才能の開花が待ち受けていたのかもしれない。だけどぼくは、そこからの逃避を選んだ。その結果、良識ある社会人として、名誉ある生活と平和な家庭を得ることができたんだけど、もしかしたら大きな可能性を失っていたのかもしれない。

 そんな夢日記、今はもうやめてしまっている。読み物として退屈なものは、書くのだって退屈なのだ。