ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

危ない夢日記(5)

 夢日記の話は一応前回で終わったけど、せっかくだからもう少し隣接テーマを続けてみよう。

 夢で不思議に思っていたことがある。時間のずれだ。

 邯鄲の夢なんて話があるけど、そこまでの大河ドラマじゃないにしても、現実時間と夢の中時間は差が激しい。夢の中でとても長い時間かけているはずのことが、現実には僅かな時間だったりするのだ。例えばベッドから落ちるときとか、高い崖をいつまでもいつまでも落ち続けたりする。実際には、40センチかそこらの落下なのに、「うわあああぁぁぁぁぁ、たぁすけぇてぇくれぇぇぇぇぇぇッ!」なんて、時間あたりのセリフ量ときたら、もう『キャプテン翼』のアナウンサー並みだね。

 これは、やはり肉体というデバイスのせいなんだろうか。

 脳が持つ本来のCPUパワーは、実はすごいクロック数で動いている。なのに、肝心のデバイスがそれを受け入れられない。やむなく脳の方が、肉体から送られる信号に合わせてウェイトを入れ、ぼくたちは日常のペースで生活している。眠っている時におこるのは、このリミッターの解除だ。脳の自己完結的な活動は、CPUのクロック数に応じた超高速で稼働、結果、現実時間の何十倍ものスピードで流れていく……なんて仮説。

 こんなことに気づいたのは、人生上で最も時間に追われていた三十代の頃だ。当時、クリエイタースクールでフルタイム講師として働きながら、シナリオだの企画だのの仕事もやっていて、寝る間もないほど追い詰められることだってちょくちょくあった。

 もし、夢の中で仕事ができたら。まさに、精神と時の部屋を手に入れたようなもの。ほんの数分の現実時間で、半日分ぐらいの仕事を終えられるかもしれない。先ほどの仮説が正しいのだとしたら、実は眠る必要なんてない。『マトリックス』のような、精神だけで世界と繋がっている状態になればいいのだ。

 でもその場合、精神界で1週間働いても、給料は1時間分とかだったりするんだろうか。時間ベースで働いてると、そういうことになるよね。実績ベースなら、この逆かも。