デスクトップのあれこれ(2)
で、デスクトップについて。
こんにちのPCのデスクトップは、広い。まずディスプレイがでかい。17インチなんてのはもう狭い方で、iMacでも小さい方が21.5インチだったりする。そして、1920☓1080なんて画素数が、普及機においてもすでにデフォルトだ。
こうなると、正直なところ疑問だ。いったいみんな、何に使ってるんだろうか。
用途によって、適切なウィンドウの大きさは限られてくる。例えば文章を書くような場合、横30文字程度がいちばん見やすい。1920ドットもある画面を横いっぱいに使うようなことは、HTMLとかは別として、まず必要ない。結局、画面の半分程度しか必要ないってことになる。
前回書いたクリッピングは、数少ない「デスクトップの空き空間を役立てられる」方法だった。でも、前回書いたとおり、あまり注目されていないのだ。
もっとも、デスクトップメタファーというユーザーインターフェイスのコンセプトは、そういう使い方を元々指向している。「デスクトップ」という単語、今ではパソコンの画面のことをいう単語として普及してしまっているけど、元々は「いろんな道具が散らばった机の上」を模して名付けられた概念だ。従来のPC環境が、ただひとつのアプリケーションしか表示できなかったのに対し、Macのそれは複数のアプリケーションをウィンドウとして開き、さらにカスケード表示(=部分的に重ねること)させられるようになっていた。この状態が、いくつもの本やノートを広げている机の上になぞらえられて、生産性の高いパソコン環境としてPRされたのが、デスクトップというコンセプトなのだ。
だけど、ぼくは思う。勉強で読まなければならない本があるとき、机の上が散らかり放題だったらどうなのかな。特に最近のデスクトップは、例えるなら雑誌だのマンガだのが散らばってるようなものだし。