ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

デスクトップのあれこれ(3)

 風景画ではキャンバスを横に使い、人物画は対照的に縦につかう。ここから、横長の状態をランドスケープ、縦長の状態をポートレートと呼ぶ。

 パソコンのディスプレイは、昔からランドスケープが普通だ。でもぼくはポートレート派。自宅のMacミニにつないでいる23インチの液晶も、縦にして使っている。

 これも「長年の夢が達成」みたいなところがある。前にも16ビット機の時代の話を書いたlけど、あの頃の画素数は、640☓400ドットで固定だった。ここに16ドットのフォントを表示させると、隙間なしで並べても25行。文章書き用途においてはあまりに厳しい。画面を縦置きにできたらと、よく思ったものだ。でもOSが対応していないし、ディスプレイにも機構上の制限があった。

 当時のディスプレイはブラウン管搭載。かなり熱を持つけど、空気の通り道は、縦にして使うことまでは考慮されていない。そして「想定外の方向から地磁気がかかることで故障が発生する」なんて脅されたりもした。現実問題としては、回転させるのが一苦労だったというのがある。バカみたいに重く、適切なスタンドを用意してやらないと立てることができない。

 液晶パネル化された今では、物理的制約は綺麗になくなっている。なのに、ピボット機構の付いているディスプレイは少数派だし、アプリも今ひとつ向いてないものばかりだ。こういう硬直した仕様を前にすると、エンジニアという連中の発想のあり方が悲しくなってくるね。だいたい昔においてもパソコンのディスプレイがランドスケープでなくちゃいけない理由って、なにかあったんだろうか。「テレビがそうだったから」程度の理由しかないと思う。それとも、プログラマ視点では、行数より桁数の方が重要? だけど、PC98を支えた圧倒的なユーザーは、紙の文書ベースで生活してる事務系のビジネスマンだ。報告書だろうが企画書だろうが、通常は縦に長いんだけど。

 ただ、職場ではこの意味でもちょっと不遇だ。支給されているのはノートパソコンで、外部ディスプレイはない。しかたないから、全体を立てて(キーボードとマウスは外付け)使っている。本体左側面から出ている電源コードとLANケーブルが邪魔になってるんだけど、ティッシュの箱の上にパソコン全体を載せるようにして、何とか回避している。必要な時だけやってるけど、職員室の中ではかなりの違和感がある。