ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

デスクトップのあれこれ(7)

 思いの外、長く書き続けてしまった。そろそろまとめにしよう。

 デスクトップという言葉、本来はメタファー(比喩)だった。パソコンの画面を「机の上」になぞらえて、そこに本だのノートだのが置かれるようにウィンドウを開く、そういう意味が込められていた。

 カスケードウィンドウという使い方は、本来は機能紹介のためのデモンストレーションだったのではないかと思う。デスクトップメタファーを一発で理解させ、さらにPC(当時はシングルタスク)との区別を付けるため、採用されたのではないだろうか。ここで普及を図るためには、他の使い方を塞いでおくのがいちばん。その結果、Macではフルスクリーンでアプリを使うことが、基本的にできない。最大化をクリックしても、単独のアプリケーションで画面を専有するということは、基本的にない。

 こんにちでは、「書くときの気分」に注目したエディタというのも出ている。居心地のいい書斎でお気に入りの万年筆を原稿用紙に走らせるときのように、気持よく文章を書こうなんて触れ込みだ。例えば、これとか。ぼくも一時期使った。ただ残念なことに、パフォーマンスが悪かった。数百行程度のテキストを開くのにもたついているようじゃ、実用ソフトとは言えない(最新バージョンでは改善しているかも)。結局今は、miを使ってる。まあMac用のエディタとしてはなかなか良く出来ていると思う(使いこなしてるとはとても言えないけど)。

 まあ、機能とか性能とか見た目とか、いろいろな求める要素はあるわけで、単独のアプリが全てを満たしている必要もないだろう。クラウドの時代は、データ中心の時代。アプリケーションにはかつてより「使われる」機会がだんぜん増えているともいえるのだから。