ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

バッカスの微笑み返し(6)

 気が付くと、もう8月だ。ここ数回、酒をテーマにあれこれ書いてる。でも、昔のぼくを知る人が見たら笑うだろう。というのも、元々ぼくは、アンチ酒派だったのだ。

 健診で酒量をきかれたら「ゼロ」と答えていた。実際、1年間の総酒量ですら、ビールでジョッキ1杯分もなかっただろう。飲まないについては「ほとんど」だし、自分自身の積極的意思としてという縛り付きなら「全く」だった。

 これだけなら“ノン”にすぎない。“アンチ”たる理由は、自らの行動にある。ぼくはこの国の酒に対する寛容さを、常日頃から苦々しく思っていた。そして持ち前の豊富な表現力で、ことあるごとにそれを主張していたのだ。

 これを裏付けていたのが体質だ。

 実はアルコールを受け付けない体質だった。アレルギーではないので、全く飲めないわけじゃない。ただ、飲むと気持ち悪くなる。ふつうの人ならいったん気持ちよく酩酊してから気持ちが悪くなるところ、ダイレクトに気持ち悪い領域に突入してしまうのだ。飲み会なんて、わざわざ吐くために参加してるようなもの。だんだん悪くなってく気分の中、醜態をさらす連中を否が応でも見せつけられ、やがて“熱く込み上げてくるもの”に突き動かされてトイレまでまっしぐら……いや、これでアンチにならなかったら、ドMだって。

 こんなことを書くと、学生諸君の年代なら疑問におもうだろうね。

「山田さん、なんでわざわざ宴会に行ったんですか?」

 いやいや、こういう人間でも飲むことを拒めないのが、昭和という時代だったのですよ。まあその分、経験値は上がったね。今の時代なら、ぼくは参加そのものを拒んでしまい、酔っぱらいの醜態を目撃するチャンスも失っていただろうから。

 ともあれ、人は変化する。ぼく自身の、酒に対する気持ちのあり方も変化した。「下部構造が上部構造を導く」(マルクス)は個人にも言えるようで、体質が変化し、アルコール不耐性が少し和らいだ結果、酒に対する考えも変わってきたのだ。