ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

バッカスの微笑み返し(7)

 今のぼくはウィスキー派で、もっぱら高級品(超はつかない)を、ストレートかロックで嗜んでいる。こう書くとすごい上級者のようだけど、実は体質という下部構造に導かれてのことだ。

 若いころの不耐性は緩和されたとはいえ、ゼロが1になっただけのことで、アルコールを分解する能力が低いことは変わりがない。そんなぼくにとって、缶ビール一本というのは、かなりヘビーな量となる。そして、どんな酒であれ「がぶがぶ飲む」は危険すぎてできない。その結果、チューハイやサワーもだめ。

 ふさわしいのは、ショットグラスにちょびっと注ぎ、ちびちびと舐めるように摂っていく飲み方……こうなるともう、ウィスキーしかないよね。まあブランデーでもいいんだけど、こんな飲み方していると味や風味にはとても敏感になり、高級品でないと我慢できなくなってきた。ウィスキーはブランデーよりは普及している飲み物なので、高級品の経済的ラインが低い。結果、ウィスキー方面にばかり経験値が蓄積されてしまったのだ。

 そして、身体的下部構造は、経済的下部構造の土台ともなるようだ。量を飲まないから、一本買うとずっと残ってるのだ。もし3日でボトル開けちゃう人なら、『響』なんてとんでもないだろう。でもぼくなら、半年後にだって余裕だ。毎日飲む人の発泡酒よりも、だんぜん安い。

 自分自身の変化に気づいた時、これまで見えなかったものが一気に見えてきた。酒というシステムが視野に飛び込んできたのは、そんな瞬間だ。


 さて、そろそろ全体の締めを。

 ぼくたちには、ウィスキーをデザインすることはできない。でも、そのデザインを楽しむことはできる。そして、商品というのは生産の現場だけで作られているわけじゃない。ある仕様が商品としての魅力になるかどうかは、商品性部分の担当者がどのように物語を創造できるかにかかっている。昭和の復興期、サントリーというブランドが大きく躍進できたのは、開高健山口瞳という、時代の流行作家(になった人)を広報社員として擁していたことが、とても大きい。山崎蒸留所から庫出しされるウィスキーを作ったのは現場一筋の職人たちだろう。でもサントリー製品としてのオールドやリザーブをデザインしたのは、彼ら広報部員たちなのだ。そしてぼくたちゲーム屋は、そこから大いに学ぶべきだろう。

 そんなわけで、下戸だろうが未成年だろうが、大いにリスペクトすべし。シリーズカテゴリーが示す通り、森羅万象ことごとく、全てはゲームに導かれるのだ。