ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

ハードにライトな物語(7)

 と、ライトノベルの「希望と不安」を書いてみたけど、ほんとうはそんなに心配しているわけじゃない。むしろどう変わっていくのかが楽しみなくらいだ。

 実は、ライトノベル的なものの歴史は、とてつもなく古い。

 ぼくたちの年代が少年だった頃、集英社コバルト文庫があった。また「ジュブナイル」と呼ばれる、特に少年層に向けて書かれた小説群も存在した。さらに遡ると 昭和40年代には「青春小説」なんてカテゴリーがあって、佐藤愛子川上宗薫(※文中で敬称を付けないのは歴史上の人物だから)といった昭和を代表する大作家が、ビッグネームになる途中の時期に書いていたりした。結局、時代ごとにその種の文学ジャンルは登場してくるものなのだ。

 そのような理解の上で、あえて考えてみたい。ライトノベルとそれ以前の若年者向け小説を隔てるものは何か。

 書き手と読み手の距離の近さ、ぼくはこれに注目したい。

 大塚英志さんが「キャラクター小説」と名づけた初期スニーカー文庫の作品群。これは、プロ作家のものだった。他の分野で実績があるプロが、編集部からの企画で書くものだったのだ。コバルト文庫も基本的にそうなのだろう(川上宗薫は実はここでも書いている)。

 そこから言うと、第二芸術性というのも、あまり敵視しすぎないほうがいいかもしれない。俳句並みに手軽に取り組めるというのも、他の小説では持ち得ない特徴なのだから。

 ところでシリーズタイトルについて。

 昔『ソフトでハードな物語』っていうゲームがあって、直接的にはそのフェイクだ。ほんとはLIGHTとWRITEをかけたかったんだけど、“ライトでライトな”じゃ何言っているのかわかんないしね。ただ、こうして名前を借りたことで、大発見が。なんと、リバイバルゲームとして配信されているんだね。

 これもまた、PCゲームにおける「収穫の時代」の産物といえるゲームだろう。昨今の業界事情では、ちょっと出せそうにない。でも、昔のものがこうして出てきている。

 今のラノベがたとえ滅んだとしても、まあそんな感じで語り継がれるのかもしれないね。