Mr.サマータイム(3)
サマータイムは欧米で主流だ。明治の開国以来「欧米を真似よ」でやってきたこの国にとって、“欧米で主流”という事実は、ただその事実だけで無視できない要素となる。
実際に採用されたのは、連合軍に占領されていた時期だけ。独立回復と同時にやめてしまった。だからといって
「夏時間廃止は民族独立の象徴であるッ、その再導入など不届き千万!」
なんて息巻いてる右翼もいないだろう(たぶん)。
実際、ときどき再導入の話が出てくる。小泉内閣っていう空前の人気政権の時にも政府筋から提案されていたし、民主党政権誕生直後も同様に話題に上った。それに、エコや地球温暖化対策に絡めた提案とか、震災復興とか、もう機会さえあれば提案してくるって感じだ。そして、国民を二分する大議論の末否決されてきたのかというとそうではなく、どの場合も「盛り上がらないまま自然消滅」に終わってる。
まあ、政治思想とかは関係ない。単にめんどくさいってことだろう。
そして、導入のための敷居は、どんどん高くなっているとも思う。社会全体がコンピュータ仕掛けになっているこんにち、昔に比べると、時計の数は半端じゃないほど多い。そしてソフトウェアの多くが時計を利用しているという事実は、決して軽視できない。何が起こるか、わかったものじゃないのだ。何しろプログラマという連中は、西暦2000年が来ることすら想定できなかったやつらなんだから。
そうはいいながらも、一度ぐらいは体験したいものだとも思う。
「いやぁ、8時だってのに、まだこんなに明るいじゃん! 夏だねー」
なんて感じで、季節感というのを輪をかけて楽しめるような気がするのだ。