ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

Mr.サマータイム(4)

 道具と言えば、カレンダー。

 紙に印刷されたカレンダーは、もちろん道具だ。でも、その元となっている暦にしたって、しょせんは人間の作った道具に過ぎない。1日そして1年という刻み自体は天文的理由があるけど、それをどう分割するかは、純粋に人間の都合にすぎないのだ。

 ときどき思うんだけど、なんで2月は28日しかないんだろうか。

 太陽暦をとる以上、30日までの月と31日ある月に別れてしまうことはしかたない。だけど、そこになんで28または29日なんて月を加えなくちゃいけないんだろうか。大の月と小の月の比率を逆にすれば、それで済む話なのに。

 元々、生活に密着した暦は、太陰暦の方だと言える。

 地球上の生き物は、月(天体の方ね)の影響を、大きく受ける。このことは、釣りをして納得した。海で釣果が期待できるのは、基本的に潮のよく動く日。つまり、大潮の日だ。いつが大潮なのかは、月齢と連動する。具体的には、新月と満月の時だ。そんな訳で、ムーンフェイズ(月齢を表示する部分ね)の付いている時計なんてのが憧れの対象だった。デジタルだと、Gショックやプロトレック。物によっては、月齢だけじゃなくて潮位までわかる。

 でも、もし太陰暦の下で暮らしていたら、そんな複雑なことなんか考える必要はない。

「月の変わり目と真ん中あたりがよく釣れる。以上」

 そして今が月の変わり目なのかどうかなんてのも、夜に空を見上げればいいだけの話。

 そんな自然で便利な太陰暦をなぜ捨て、太陽暦を受け入れたんだろうか。これが「ご一新」というものなんだろう。単なる政権交代じゃなく、国民全体が自らの傷みをも受け入れる、意識の改革。このぐらいのことがなけりゃ「維新」なんて言っちゃいけない。字面がかっこいいからって現実政治のキーワードに濫用するなんてのは、大人の厨二病だ。