ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

ただ今撮りだめ中

 工学院のゲーム/CGコースでは、9月は実習に専念する月で、学生どうしでそれぞれにチームを組んで短期のオリジナルゲーム制作に取り組むことになる。こうなると企画屋であるティーチャーには、ヒュプノシスに魅入られた学生をこちら側に連れ戻す(叩き起こすとも言う)くらいしか、やれることがない。

 そんな9月が終わり、ようやく授業が始まる。

 毎回そうなのだけど、この時期、何をいつ話そうか悩まされる。授業計画というのは、年度の頭の時点で作っているけど、予定通りにいけたためしがない。「ゲームデザイン」の枠で教えるべきことは、ほんとうは学科の授業枠をまるごと使わないといけないぐらいある。なのに、与えられたコマは週1回90分だけ。どうしたって、ダイジェスト版か入口だけかになるしかないけど、どういうダイジェストが適切か、またどの登山口を示すのが有効なのか、それは学生と直面してみるまでわからないのだ。

 加えてもう一つ、ぼくの頭を悩ませているものがある。ビデオだ。

 去年から取り組んでいるのが、ビデオ撮り。授業を映像として記録するということだ。これはとうぜん学内ライブラリとして蓄積されるものだし、将来のネット配信もにらんでいる。でも、今のところ、未編集の動画ファイルがサーバー上に放置してあるだけだ。

 この計画には、ひとつ大きな問題があった。編集をしなければならないのも、ぼく自身なのだということだ。これが、どうしてもやる気を起こさせてくれない。

 本来そこに必要なのは、客観視だろう。公開に足る映像かどうかを客観的に考え、届いていなければ何らかの方法で補う、そういう判断力と能力が必要だ。ぼくだってずぶの素人ではないので、作品なら、例え自分の作ったものでも客観視できる。でも、自分自身なんて無理だ。 やっぱり、分担した方がいい役割というのは、あるんだよね。セルフプロデュースのネットアイドルなんて、誰一人生き残ってないわけだし。