左側で行こうよ
江戸時代の人は左側を歩いたという。右側を歩くと、刀の鞘がぶつかりやすくて、社会的に危険だからだそうだ。すれ違いざまに抜き打ちなんてこともやりづらいから、セキュリティ的にもその方がいいんだろう。
となれば、馬だって左側を通ったんだと思う。明治になり、馬が馬車に変わったときも、同じように左側を通ったんではないだろうか。
「道というのは、左側を通るものである」
この原則が、車も馬も人も、等しく適用されたであろうことは、想像に難くない。でも今は、「車は左、歩行者は右」ということになっている。
正直なところ、これはかなり問題あるルールだ。
車と歩行者なんて分け方をするけど、実はどちらも人間だ。車を運転しているのも、歩いているのも、どれも人間。自分自身は同じなのに、どういうモードに置かれているかで通るべき側が変わってしまう。これでは混乱してしまう。
顕著に表れるのが、自転車に乗っているときだ。道路交通法上は車やバイクと同じ扱いの「乗り物」だけど、乗り手の気分としては歩行者の延長線上。その結果、走る場所がまちまちになってしまっている。車道の右側だったり、左側歩道の上だったり。歩道上を走る場合も、その右側だったり左側だったり、もうどうにもならないレベルの混乱になっている。
こんなリスクを伴う「車は左」ルール、いったいどんなメリットをもたらしているのだろうか。道路をシェアできるといったって、それはあくまでも車が追い越していく場合だけ。すれ違う場合は、同じ側で対面することになり、本質的な危険さに違いはない。
自転車の速度というのは、歩行者にとっては十分な脅威だ。
「いかなる場合も、通るのは左側」
このルールへの一刻も早い回帰が、必要なのではないだろうか。