ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

まもなくノーベル週(2)

 賞がしっくりくるための条件。それは、格付けと受賞者との間にちょうどいいバランスが存在することだ。具体的には、受賞によって名が高まる人が受賞するということになる。例えばぼくが突然「山田ゲーム賞」なんてのを作ったとする。この受賞者としてしっくりくるのはいうまでもなく自分が直接教えている学生だけだ。OBだと、ちょっと厳しい(既に『業界での有名人』レベルの人も出ているのですよ)。

 ノーベル賞が基本的に成功しているのは、科学者が中心だからだろう。ホーキングやドーキンスならともかく、一般人は科学者の名前なんてほとんど知らない。だから、たいていの人は受賞によって名が高まる。そしてその人が受賞後に実力を示すことで、賞の権威も高まる。正のフィードバックループが形成されるわけだ。一般人が知らないという点では、経済学者だって同じ。だからいろいろな問題を抱えながらも、経済学賞も一応定着している。

 問題なのは、平和賞だ。政治的なきな臭さという点題に加え、この意味で難しい。みんなが納得する受賞者というのは、既に著名人である場合が大半だからだ。ダライ=ラマ、マザー・テレサ国境なき医師団、どれも受賞以前に世界的に認められた存在だった。加えて、賞の方が負けるということが、この分野では起こりうる。例えばビル・ゲイツ。莫大な資産を元に作った財団を通じて、世界中の医療に貢献している。でもノーベル平和賞にはふさわしくないだろう。既に、賞よりもゲイツの方が格上だから。われらがビルは、世界史上、たぶんアルフレッド・ノーベルよりも太い文字で書かれる存在だ。