ゲームは究極の科学なり

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まもなくノーベル週(4)

 ぼくぐらいの世代(以上)の日本人が、ノーベル平和賞について冷ややかになれる事情。これは、佐藤栄作氏の授賞というのが、とても大きい。若い世代にとっては歴史上の人物(しかもそれほど太文字ではない)に過ぎないこの人は何者なのかというと、昔の自民党の大物政治家だ。

 時は60年代。東西冷戦とベトナム戦争が、アメリカを一方の当事者として遂行されていた時代。日本各地に散らばる米軍基地も、当時は臨戦態勢だった。横浜には軍需物資が集積され、淵野辺では戦車や大砲が運び込まれ、嘉手納からは北ベトナム空爆するB52が出撃する。そして今は輸送機しかいない横田基地も、当時は爆撃機が配備され、核爆弾を積み込んだB52が、中国やロシア(ソ連)ににらみをきかせていた。そんなアメリカ政府を全面的に支持し、国内の反戦勢力を抑えこみつつ、後方支援基地として日本全土を提供しつづけたのが、首相(在任1964〜72年)だった佐藤栄作氏だ。

 まあ、歴史上の存在になった今から見ると、当時とは違うことも言える。政治家としてはやっぱり偉大だろうね。現実問題として、当時の(たぶん今でも)日本には、アメリカに反対できるような政治的オプションはない。それはウクライナが反ロシアになれないのと同じだ。ウクライナの政治家が、ロマンを語り実行しようとした結果、国そのものが未曾有の危機にある。でも、佐藤栄作は違った。左派勢力の台頭を牽制し、一方で本格再軍備にまで突っ走りたがる右派勢力もいなし、日本を一大経済大国へ導くことに成功した。とはいえ、国民にとっての偉大な政治家ということで、間違っても「世界平和に貢献」じゃない。

 ともあれ、ノーベル平和賞というモノの“きな臭い”本質を知らしめてくれた一件ではあったのだ。