ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

これも「さらば」になっちゃう?(2)

 今は「残念な食事処」の代名詞となってしまったマクドナルド。だが、かつて憧れの対象だった時期があったという。60年代、日本はまだ十分には豊かじゃなく、アメリカは過剰なほどに豊かだった。初上陸当時のマクドナルドは、その羨望すべき豊かさを象徴するものだった。

 ただ、ぼくの年齢になると、さすがにその頃まで記憶を遡ることはできない。地元にそういうものが初めて出来たのは、多分中学生の頃だったんだろう。憧れというような特別な気持ちではなく、単純に好きだった。というのも、そこが「使える」場所だったからだ。

 昭和の喫茶店というのは、中学生にとって使えない場所だった。ふかふか過ぎるシート、照明を落とした店内、ウェイトレスが席の横までやってくる注文スタイル、それなりに高価なプライスなんてもので構成され、その帰結として子供の単独客を寄せ付けなかった。でもマクドナルドは、そうではない。中学生だって堂々と入れるし、中学生にとって快適だし、中学生のおこづかいでも手が出せる。

 それは、「日本流のおもてなし」への、アンチテーゼだったのだろう。日本旅館に代表されるような、べったりとした世話焼きというのが昭和期のサービス業の価値観だ。でもぼくたちには「放っておいて欲しい」と思うことがある。特に、おもてなしが対価を伴う場合には。

 でも、ゼロ年代以降のマクドナルドは、放っておくの意味を取り違えたのではないだろうか。サービス業におけるセルフサービスというのは、「何もしない」をちゃんとすることであって、何も考えずに放り出すことではない。お客としては、自分の行動に対しては自由を求めるものの、その帰結の全てを受け入れるつもりまではない。でも、平成期のマクドナルドは、お客だけを放っておくのではなく、店舗までも放っておいてしまった。掃除とかゴミの片付けとかまで「無駄な経費」として切り捨ててしまった。その結果が、スラム化した店だ。