ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

これも「さらば」になっちゃう?(終)

 書きながら気がついたことがある。

 前に書いた「豊かさの象徴」として「憧れの対象」になったマクドナルド。日本では70年前後の話だけど、国によってはもっと最近に同じ現象が起こっている。その好例がロシア。ソ連崩壊後に初めてマクドナルドが出店した時、とても長い行列ができたんだとか。これは「豊かな資本主義の象徴」だったのだろう。

 だけど、ここに皮肉な事実がある。マクドナルドという会社そのものは、実に社会主義的だということだ。

 旧ソ連では、「民主独裁制」の名の下、共産党が国の全てを決定していた。「計画経済」といい、どんな製品がどれだけ生産されるのかも、共産党の計画どおりに進めるものだった。工業製品や資源はもとより、農産物の収穫量までもが、その計画に組み込まれていたのだ。そして現場は、当中央の決定に背くことはできなかった。実情に合わないと思われるとき、1回だけ上申することができる。だけど中央からの回答が「間違いはない、計画通り遂行せよ」だった場合、それと異なる行動をとることは破壊工作とみなされた。

 マクドナルドでは、中央の本部が全てを決め、末端にまでその遵守を徹底させている(と思う)。店ごとのローカルな事情を反映させられる余地はない。本部が「半額で売れ」といったら半額セールだし、「百円の商品を売れ」といったら百円マックが始まる。そして女の子たちはセットじゃない商品を注文した客に「ご一緒にポテトはいかがですかー?」を繰り返す。

 とはいえ、日本のマクドナルドはあくまでも日本マクドナルドが取り仕切っているし、東南アジアマクドナルドに行くと見たこともないヘンなメニューがあったりするし、ローカライズを許容するのがマクドナルドの流儀だ。「グローバル本部」を作っているのは、むしろマクドナルド以外の企業だ。

 レーニンの死後「一国社会主義」の方針をとったソ連によって潰されたコミンテルンの夢を受け継ぐのは、実はアップルになるのかもしれない。