ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

奴隷じゃなくて「貴族」でしょ?(1)

 ノーベル賞がらみの記事、早々に畳んでしまったけど、一点心残りな点があった。中村修二氏について、もっと書きたかったのだ。

 ただ、それは結局特許そのものの話題ってことで記事量がどうしても膨大になってしまう。がまんしてたんだが、そしたら、ハフィントン・ポストでちょうどいい記事が掲載されていた。こういう追記はあんまりしない主義だけど、今回だけは特別だ。

 詳しくは引用先を読んでもらうとして、中村氏の主張の問題点を挙げておこう。

  1.発明それ自体権利の認定を、同一視している

  2.発明の対価を、事業がもたらした利益額と直接的に結んでいる

  3.終身雇用の研究職として生活を保障されていた事実を無視している。

 1には、補足説明が必要だろう。

 発明は、出願して認められることで、ようやく特許権になる。これは願書の他、「①特許請求の範囲」「②明細書」「③要約書」という文書を添付して行う必要がある。②は発明を説明する技術的資料、③は内容のインデックス。ということで、権利の具体的な範囲を決めるのは①である。これを知財用語では「クレーム」と言う。

 で、クレームをどう書くのかが、大問題になるのだ。汎用性が高いクレームを書くと「それ、既に公知の技術が含まれてるよね」ということで、特許が認められない。だけど、絞り込んだクレームでは、少しでも違う方法で作った場合をカバーできないため、権利に実質性がない。

 使えるクレームを書くためには、高度な能力がいる。まず、分野に関する専門知識。研究者の研究内容が理解できないといけないのだから当然だ。そして知財法に関する知識。これらを踏まえた上で、絶妙の請求範囲をまとめることができる創造性。そして、特許庁審査官との丁々発止の駆け引きを成り立たせる戦略性。知識と経験が、多重領域において要求されるといっていい。これを担当する専門職は弁理士だが、実際には企業側の法務/知財スタッフとの連携で進めていくことになる。

 これは、アイデアとビジネスの関係に似ているだろう。稼ぐためのアイデアを思いついたとしても、通常カネにはならない。ビジネスとして仕上げるためには、豊富な経験と豊かな創造性を持ったチームによる商品化が必要だからだ。