ゲームは究極の科学なり

フルタイムの教員モードに入っている企画系ゲーム屋があれこれ綴ります

奴隷じゃなくて「貴族」でしょ?(2)

 で、中村氏の発明について考えてみよう。

 そもそもなぜ特許をとれたのか。いうまでもない。クレームが優れていたからだ。青色LED自体は既に大学の先生たちが発明していたから、ふつうに出願しても拒絶されるだけ。それを「青色LEDを製造する実用的な方法」として、内容を絞り込みながらも事実上ほとんどの方法をカバーできる程度に汎用性を持たせる形でクレームを作成して出願したから、実効性のある形で権利化できたのだ。

 それが可能だったのは、クレーム作成において豊富な経験と判断力を有するスタッフがいたからだ。具体的には、日亜化学の法務部(あるいは知財部)と契約弁理士ということになる。では彼らは誰が用意したのか。言うまでもない、会社だ。つまり、この会社に属することなく個人として出願を行ったのなら、そもそも利益以前に権利化自体が不可能だったかもしれないということだ。

 だけど、中村氏の発言に、そのことへの言及はない。むしろ、前後の発言から察する限り、発明さえ完成すれば自動的に権利が導ける(=クレームなんてものは誰にでも書ける)と考えている節がある。

 そして、2も3も、その延長線上にある。ひとことで要約すれば、こういうことだろう。

 「苦労はみんなで分かち合ったけど、利益はオレが独占だ」

 リスクをとらないものはリターンを得る資格はない。これは、道徳律の領域、つまり法律そのものを成り立たせている社会的合意だ。中村氏が個人ベンチャーとして融資を受けて青色LEDを開発したのなら、リターンも独占していいだろう。なぜなら、研究が失敗した時のリスク(たぶん破産)も自分が負担したのだから。

 だが、そうではない。リスクをとったのは会社だ。そして中村氏への給料も、海外留学の費用も、そうした会社が負担したリスクを構成する要素だ。